「居酒屋もへじ」を観ると「相棒」はものすごいバランスの上に成り立っていることがわかる、どうもsasukenedaです。

前に書いたかもしれないけど、改めて。水谷豊はそういう意味ですごい役者だなと。ほめてますよ。使い手の戦略性で成功も失敗もするということでクリエイティブを求められるなと。

 

岩手競馬に所属していた鈴木麻優さんが先月末で騎手を引退したと発表しました。詳しくはこちらに書かれているのでご覧ください。引退したことついては私がどうこう言える立場でもないですので、とりあえずお疲れさまでしたと言いたいです。ただ、以前からこのブログをご覧の方はお判りでしょうが、私は鈴木さんをもっと岩手競馬で前面に出すべきだと言っている人間でして実際愛馬に乗ってもらうつもりでいました。しかし、移籍する直前に鈴木さんは落馬し、その後一度も騎乗することなく引退となったわけですが、実は岩手競馬の関係者から復帰は厳しい旨の発言を聞いていて、そのこともあり愛馬を移籍させました。そのことも含め鈴木さんの引退を機にいろいろ考えてみたことをつらつらと書きます。が、その前に鈴木さんのお写真でも・・・


写真:さんきちさん

※「私、左から撮られるほうが映りがいいんですよ」とのリクエストで・・・

写真:さんきちさん
で、こんな写真になりました。

 

閑話休題。そもそも、私が競馬を見始めた1995年にJRAで初めて女性ジョッキーがデビューしました。私の競馬歴イコール女性騎手の歴史(といっても地方ではもっと前からいたんですがそれは承知の上であえて書きます)なわけですが、当初はそこまで意識していませんでした。ダビスタ2から始まった私の競馬好きは、当初騎手を目指すというところに行きましたが、身長が高く、運動神経もなく騎手になれないと思った私は騎手を諦めます。そんな時にあるマンガに出会います。

 


それが地方競馬の共有馬主になるというこの漫画でした。この漫画を読んでからは地方競馬で馬主になるというのが夢になりました。競馬のない地方で生活した大学生時代にも、上京した際に南関の競馬場に遊びに行くなど地方競馬はウォッチし続けていました。そんななか一人の女性騎手がデビューします。それが山本茜さん、競馬ファンならご存知のあの騎手です。同い年でもある彼女の活躍はまぶしく、ネットで彼女の活躍を追い続けました。いろいろあって彼女は所属していた名古屋競馬を離れてNZへ渡り、その後事故を理由に引退となりました(ネットで調べたら今は結婚してお子さんもいて幸せそうでなりよりです)。「いろいろ」と書いたことは調べればわかると思いますので詳しくは書きませんが、そういったことが問題になったこと、そしてJRAの女性騎手たちが藤田菜七子騎手誕生までに全員引退してしまったことなどで、競馬サークルという中での女性騎手の難しさが伝わってきました。その時点では馬主でもなんでもなかったのですが、女性騎手を取り巻く現状を目の当たりにする中で自分が馬主になった際には、自分を魅了してくれた彼女たちの応援をしたいと思うようになりました。

社会に出た私は念願の馬主資格を取得。その前後で私自身の出身でもある東北・岩手競馬で鈴木麻優さんがデビューしました。そこで上でも書いたように、JRAが菜七子騎手をそうしたように、岩手競馬も人気集めの起爆剤として鈴木麻優さんを打ち出すべきだと思ったし、私自身も技術が未熟だろうとなんだろうと乗せようと思ったわけです。まぁ実際にはけがのためかなわなかったわけですが・・・。鈴木さんの引退した現在、女性騎手がいるのは名古屋、高知、佐賀の3場。そこで私は愛馬を山本茜さんがいた名古屋競馬に移籍させました。共有しているさんきちさんも私の思いを理解してくれてうち一頭を木之前葵騎手に任せることに了解してくれました。さんきちさんには感謝してもしきれません。そして、預かっていただいている安部先生が、山本茜さんが騎乗し浦和記念2着の成績を残したキングスゾーンの主戦だったというのも因果を感じさせます。そんな私の夢は木之前騎手に愛馬で重賞を勝ってもらい、全国の競馬場を転戦すること。そして、ゆくゆくはJRAで走ってもらえたらいいなぁと思っています。そのためにお金をためて走る馬を買わないと・・・ですね(笑)長々と書いてしまいました。