walkin' by around.

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I've not stiill found my way.

他人にはただの石でも、俺には宝物が、ある。
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テレビでは、東日本大震災+福島だらけになってきました。


毎日の生活の中で、私を含めて、だんだんと薄らいでゆく記憶になりつつあることを改めて認識しました。

そろそろ東北出張に行かねばならんですな。

私でできる範囲で協力をしようと思います。


ところで、テレビってもう少し尖がった前向きな番組を作れないですかね?

批評家が寄ってたかって「復興遅い」しか言いません。

または、生き残った人々が涙を誘うエピソードと前向きな生活のご紹介。


それはそれで、いいんだけど、そればっかり。


もっと復興に向けて具体的に国に予算を落とさせる提案だとか、いようとp

小泉進次郎と番組を作ったりしてみたらいいのに。


または、通販番組を全部東北物産にして、真昼間からずーとやるとか。


テレビが、第三者的視点だと、視聴者もドラマを見ているような第三者的な見方をしてしまうんではと。

生まれなんです。

ついこないだまで、まだ若いなんて思ってました。

いや、いまでもまだ若いなんて言われます。


でも、僕が生まれた昭和48年と何もかもが変わってしまいました。

時代の変化が速すぎて、全くついていけてない感じです。

携帯やhttp://WWW ..なんて考えられなかったし、こんなにも思いやりのない社会になるなんて。

you tubeの中で70年代、80年代の映像・音楽を見るたびに感傷に浸ってしまいます。

食事の味付けも、家族の在り方も、夢の道程も、大人の大人っぽさも、

子供の無邪気さも、空気の匂いも、日本の自我も、地震も、じいちゃん家の砂浜も、

秘密基地のあった林も、夜8時に閉店するスーパーも、

変わってしまいました。


しかし一番変わったのは僕なんです。


絶望や苦しみやあきらめを知ってしまったのです。

今のこの状況を甘んじて「もういいや」って思ってしまったのです。


やりたい事はたくさんあったし、欲しいものもたくさんあるけど、

今はあまり現実感を伴なっての欲望がなくなっています。

食欲と睡眠欲だけ。

あとはほとんどない状態。だから太っちゃって。


仕事はきちんと行っています。責任ある仕事を任されています。

無断欠勤もないし、遅刻もありません。

父親と旦那もしているつもり。


でも空っぽ。

なーんにもない状態。


いつからか、道が途切れています。

何にも変わらない悠久の景色を求めるただのおじさんです。


僕の奥の細道の景色はあるんでしょうか・・・






あけましておめでとうございます。
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毎年、毎年ギリギリのところで生きていますが、今年も宜しくお願いします。

抱負は
①いいかげん、痩せる。
②次の生きる目標を探す。
③生き残る。

です。
年初からヘビー🐍ですが、40路に入り、人生の岐路に立ち、大真面目に考えてます。

隣家の庭が青く見えてるだけだと言われるかもしれませんが、比較的大手の企業に勤めているからって安泰ではありません。ご周知のとおり環境は厳しさを増しており、我慢の先の部長になって椅子に踏ん反り返っていれば良い時代は終わりました。また景況感から夢のある仕事がなく、目の前の仕事に追われる日々です。

そして多様性の、ある意味自分中心の時代、時流に乗っていないのはサラリーマンであって、良い意味で自分のアイデンティティを探す事が許されている時代であります。

ならば、クロスロードを右折してはならない理由がどこにあるのでしょう?必要なのは覚悟と勇気。たかだか何十年生き抜く為に、拝金主義になって我慢する毎日と、そうでない毎日。

脱サラしたら全てから解放されるなんて甘い夢を見てはいないし、ストレスや疲れはどのような生き方にも必ずあるでしょう。

ならば今の生きる目的を見出せないのは何故でしょうか?

何がどう不満なのか、もっと深く掘り下げる必要がありそうです。

もしかしたら今の会社人生に大きな不満を抱えていないかもしれません。給与を頂き、いっちょまえに体重も増えています。基本的に買いたい物は買えます。しかし、、、

陳腐な言い回しですが、ネクタイが首輪に思えてしまうのです。現代社会のループでは総ての人が誰かに飼われています。社長や会長でさえその限りではありません。
対等な関係ではなく、お互いの価値観を共有する事もなく。

また世界的に将来への希望が見出しにくい時代、生き馬の目を抜くような考え方や戦い方が闊歩していて、世知辛い世の中になっているように感じます。

結論、目に見えないシステムそのものや何かに縛られて、自分の意志とは裏腹に希望が見出しにくい社会の一員として朽ちていく事に焦りに似た恐怖を感じているのかもしれません。
あるいは、そんな自分の空っぽさへの虚しい感情が渦巻いているのかもしれません。

無論、人によっては今の社会を謳歌し、有意義な人生を感じている方も少なくないでしょう。個人個人の価値観だと思います。あるいは生きている事そのものが素晴らしい事なんだ!と声高に言う評論家先生もいるでしょう。

前向きな姿勢が必要な事は分かってるんですけどね。ゴールの見えないトンネルを走り続けるのが苦しいです。

昨年から続くこの病み状態、今年は払拭できるのでしょうか⁈

カウンセリング行ってみようかな

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高校時代の知人2人が今回の衆院選に大きくかかわったので、ひとかたならぬ思いで投票しました。


1人は、千葉5区より出馬した民主党の村越氏。現外務大臣政務官の職につく「悪ガキ」です。

今回の衆院選では、苦杯をなめる結果に終わりました。

民主党だから、しょうがない一面もあります。


もう1人は、日本未来の党を応援する会市川支部をつくりあげた、市川市議の越川氏。

高校時代から、選挙事務所でバイトするなど、政治大好き屋だったけど、稼業にしてしまいました。

こちらも、あえなく惨敗に終わっています。


今回の衆院選は2人とも残念な結果になってしまいましたが、

こうやって高校時代にバカやっていた仲間が、国政に参画し国の未来を占うのは誇らしい事です。

先日の高校同窓会で会いましたが、基本何も変わっていなくて安心しました。


TV報道も、フェースブックも、熱くなっていましたが、

景気回復、円高、雇用、外交、福祉、医療、TPP、原発、消費税、沖縄、領土、規制緩和、行財政改革など

やることいっぱいですが、是非とも進めていただきたいものです。


私は私で投票した人、政党がありますが、いずれにせよ決まった自民党公明党はがんばってもらいものです。


個人的には、、、自民党にあえて期待する事は、、、終身雇用年功序列を言い出したことかな?

電子メールやPCの普及でビジネスのスピードが速くなる一方で戸惑っています。

限界が近づいている私には、終身雇用や年功序列のゆったりまったりがいいなー。(^^;)


自分の感受性くらい

             茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにするな

みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを

友人のせいにするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを

暮しのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

________________________________________


1926年~2006年まで生きた女流詩人のうたです。

この詩は1977年に書かれたものです。


既に日本人は他人のせいにする事を知ってしまっていたようです。

晩年の茨木のり子は、この日本をどのような目で見ていたのでしょうか?

さ、12月の選挙。ぶっちゃけ、どこでもいいから住みやすい国作りをお願いしますヨ。

FBで騒がしい原発について。
そりゃないのがいいに決まってるさ。
安全安心に越した事はない。

君たちのお陰かどうか知らんが、国民の皆様は腹の中ではちゃんと思ってるさ。総理大臣も経団連会長も思ってるさ。

君たちの運動の成果か知らんが、それに今はほとんど止まったじゃないか。ほぼ目的は達成されたじゃないか。

大飯原発だって有識者たちで侃々諤々やってるじゃないか。

君たちは一体誰と戦ってるんだい?
何にそんな恐れてるんだい?
民主党が消えると、官僚も自民党も第三極もユートピアを作ってくれるのかい?

君たちのゴールはどこなんだい?
原発ゼロのデメリットをどこまで許容できるんだい?国としての強さがどこまで衰退してもいいと思ってるんだい?


君たちは何を守ろうとしてんだい?自分たちの主張かい?それとも子供たちの未来かい?


君たちは何を信じているんだい?君たちを率いる原発反対のリーダーかい?目に見えるものは信じるのかい?いくらでも転がっている不条理は正しいものとして信じているのかい?

子供たちは、そんな君たちを信じてよいのかい?君たちが子供の将来を担保するって。

それでも、まだ政府や民主党や官僚のせいにして、子供の未来が潰れるのは俺たちじゃないって言うのかい?


まだ分からないのかい?


デモをするだけで平和がくるなんて信じているのかい?

いや、イスラエルのような国が世の中にあるのに平和が来るなんてどう信じるのかい?

君たちは何をしたいんだい?


最初に戻ろう。原発がないに越した事はないさ。

そんなこたぁ、原爆が落ちる前から知っているさ。

問題はそこじゃないんだ。


問題は君たちの中にあるんだよ。

君たちが自分の中のことをちゃんと考えたら話そうね。

いつかみんなが幸せになる日がくるといいね。




今週、39歳の誕生日を迎える。


自分の道がみえないから、自分のやりたい事をやってきた。

自分のやりたい事を見つけられないから、自分のやれる事をやってきた。

自分のやれる事がなくなったから、自分のやらなきゃならない事をしてきた。

自分のやらなきゃならない事をしないと、自分のやれない事が見えてきた。


んー、かなり病んでいる感じだ。


しかし、自分のやれない事が見えてくると、再び自分のやりたい事が見えてくる。

あるいは自分のやりたくない事が見えてくる。


悠久の自然の中に身を投じ、自分の小ささを感じながら生きるか、

虚勢を張った煌びやかな世界の中で、太く短く生きるのか、

都会に生きるのか、田舎に生きるのか、

人と競争しながら生きるのか、人と協調しながら生きるのか、

辛く厳しいが富をつかみ欲を満たす生き方か、貧しても時間の長さを実感する生き方か、


人はそれぞれ自分のしたい生き方、したくない事生き方があるだろう。


今週、39歳の誕生日を迎える。

社会が病んできている状況の中で、自分また病んでいる事を分かっている時間内に判断せねばならない。

それだけ自分が追いつめられている状況下にある。

嫌な上司や嫌な仕事、嫌な満員電車、だけのネガティブトピックだけになってはいけない。

自分のしたい生き方、したくない生き方を見直す時期にきている。


改めて読み返すと、重いな。

まずは行動を起こす勇気からだな。

占星姓術でも読んでみようかしら。

厄の前に幸せになりたいなー。



いい加減、ips細胞で手術したって人、許してあげたら?勇気だして嘘って認めたし。やった事はやった事として、もうリンチはいいんじゃない?




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ついでだ。もう一稿。

遡る事5~6年前になろうか、まだ幼稚園児だった息子がポツリ。

「僕のお先は真っ暗だよ」

いやぁ、焦りましたよ。いま流行りのイジメの歳ではなかったし、子供ながらにTVのニュースに何かを感じたのか、大人の会話を自分なりに解釈したのか、とりあえず言ってみたのか、そりゃ分からんですが、確かにそう発言したのです。

純粋な将来に対する不安感やひとりっ子の寂寥感に襲われた感じがして、焦りました。

生前、私が敬愛する忌野清志郎がTVの公開インタビューで若者からの質問に答えていた事が鮮やかに記憶に残っています。
「(ロッカーは30歳までに死ぬ美学として)キヨシローさんみたいなロッカーが大人になってなんかいい事あるんですか?」のような主旨の質問に対し、「大人はいいぞー。なんたって自由だ。金は使えるし、子供の時に比べりゃ遊んでも怒られないぞ。君も早く大人になりたいだろう?」と回答。
なんて将来が明るくなる答えだろう!
昭和時代のような発言でしたが、いまでも印象的に覚えています。

最近、私の周辺で飛び交う言葉は、確かにこんな将来が楽しみになる言葉が見つけにくくなっています。会社でも新聞でもドラクエの中でさえも!
改めて一人の親として、将来の明るさや一生の重さを伝えなければならないと思います。

中世のルネサンス。華やかな芸術が舞った時代ですが、哲学上の解釈では、快楽主義や刹那主義と呼ばれます。将来や死後の世界に悲観して、現世に贅を尽くす生き方を好んだ時代の理解です。いまの、芸人が笑えれば何でもいい、という時代はルネサンスに通じるものを感じます。

人生80年、拙著も人生の折り返し点が見えてきました。「俺はなぁ、いつか会社やめて、こーんな事やったろうと思ってんだよ!そんで仲間といっしょに幸せになるんだよ。それが夢なんだ!」て本気で言えるようになりたいです。この歳になって成功者の言葉によくでてくるありきたりな「夢はあきらめなければ必ず叶う」て台詞が身に染みます。

ダイエットもそう。何度でも何度目でも始まりは始まり。歩きだせば道ができるんです。
今一度、自分なりに足元見なきゃいけないですね。

…間違いないのは、今のサラリーマン人生は夢ではなーい。








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