第1章
時は、1979年少し汗ばむ陽気で、まさに40年前と変わらない!台風が近づいていたので、あった… 私の心と気持ちは!都会へ向かっていた!
日にちは、覚えてないけど、朝10時から開く職安に向かっていた。着いて順番待ちをしていて、2番目に並んだ。
一番目には、同じ歳の女の子がいた私は、後ろで彼女のこと話しを聞いていた看護婦さんになりたい!少しどころじゃない真剣な表情で話していた。すると職安の人が、もう一度学校頑張ってみたらと尋ねると、働きたいと答えていた。
私の順番が回ってきて最初は、地方の求人を見せられました。良く覚えていないが、地元の求人が興味無かったのかもしれない…。
都会で目に写ったのは、大阪と名古屋2件しかなかったので、今は詳しくは話せないが、名古屋に決めた!
早速職安の人が、名古屋の会社に電話してくれた。返事は、先代の社長さんが、鹿児島に自宅に来て親子さんと話してから、どうするか、決めることが決まり自宅に帰ってから、父と母には話した。名古屋しかなかった。と嘘をついた。
両親は何事もなく、仕事採用してもらえるなら、そのまま社長に名古屋に連れて行ってもらいなさいと言われ 私も決意が固まっていた。
やがて11日に社長は来た。両親との話し合いのもとで…行くことに決まった 。両親は、どうせ長続きしないと思っていて、すぐ帰ってくる…と思っていたみたいで…その日鹿児島空港まで向かって、空港に到着した。台風の影響で、飛行機は欠航で、近く旅館で、一泊した温泉だった …
次の日名古屋に飛び立ち、着いたとき…名古屋??何処?そうすると社長が、栄とか名古屋駅に行くと、賑やかだよと言われ、意外にも都会って…?感じだった。
やがて、会社に着き、待っていた私が、名古屋で、初めて言葉を交わした人
それが、今の社長さん
のちに、このページは書きます。
話は、戻ります。
私、あなたに逢いたくて、生まれて来ました!誰だと思います!?皆さん、家族と友達です!
時は1963年父と母が、出会い私は、1964年東京オリンピックの年に生まれて初めての、家の初孫の誕生で・男の子でした 。
喜びもひとしおだった!!!らしいです。
父は、指は、五本あるか?と聞いたぐらいとても喜んでくれたらしいです。嬉しく酒を浴びるほど飲み歩いたらしい!踊り暴れたらしい!です。
幼い頃の記憶は…ほとんどないです。
いろんな物見て、私は、海の中で包まれ過去を冷たい潮風を吹かれ、陽射しを浴びて…
遠くを見つめて、夢を思いながら、学び笑うことができる環境で育ちました。
母の背中に抱かれミルクを飲んでいた記憶があります。母が、祖母と畑に行って帰宅に急ぐ時も、私は、静かに良く寝ていたらしい!
今思えば、仕方なく、寂しいから、母が、帰ってくるのを寝て待っていたのかもしれません …。
3歳までの間の話です。
次回は、3歳からの話です…。今夢中で、時を過ごしてる!感じ感じがする!あの頃の苦しみを絶対忘れない!だから今を乗り越えて!生きて行けるかもしれない…。
それほど迷いもなく歩いて来たのかもしれないけど自分では、自由に育って、いろんな人に迷惑かけて来たと思う。それは謝りますごめんなさい!これから先…
何年生きて行けるかもわからない!
立ち向かい前に進んで行きます。
サスケ