「自分を理解してくれる人は、この人かも」

そう感じた相手とこれまで出会った人も

多いと思う。

結婚っていうのは決して幸せになるためだけに

するものじゃない。

一人で乗り越えられない困難を二人で乗り越える

その為に、人は結婚するんだ。

僕は「妻が見たかったはずの未来を見る為に

この街に帰ってきた。この街で暮らすと決めた」

「だから、この先も生きていくと決めたんだ」と

「妻が見たかった世界」と何度も言ったけど

「自分の見たい未来」とは一度も言わなかった。

その時の僕は本当はこの世界が憎んでいた。

愛するモノを喪えば誰でもそうなるはず

僕は「それでも、この世界を愛せる」

なんて聖者のようなことを口にできるような

人間じゃない。

僕に悲しみがあれば受け取って

喜びがあれば分け合って

道を誤れば叱って誤ちを犯せば許して

立つ瀬がない時には、拠り所になってくれる

そんな、存在を求めていたんだろう。

世界を愛せなくなった僕が

再びこの世界を愛せるように。

僕は出会った人に勝手に運命を感じて

勝手に自分の理解もだと勘違いして

そして、勝手に失望した。

何もかもが僕の勘違い、もしくは都合の良い

解釈だった。

思えば、僕は一方的に自分の気持ちをぶつけ

理解してもらえないと、勝手に失望していただけ


僕は何も望まない。何も求めない。

僕がこれまで感じた絶望や、ほんの少しの希望

遠回りした道や時間、その中で生まれた

軌跡や奇跡、それを理解してもらおうなんて

初めから無理だったんだ。

でも、これだけは言える。

「ごめんなさい。」

そんな言葉で全ての罪が許されるなら

「この世は地獄だ。」なんて

初めから見てちゃいない。