形があるものは、必ずいつかは壊れる。

 

昔、ずっと昔、僕がまだ小さな頃にそう教わった。

 

その頃の僕はまだ幼なすぎて、それがどんなことなのか

 

わからなかった。

 

まだ大きなモノを失ってなかったからかも知れない。

 

でも、何度も、何度も大切なモノをなくす度に

 

その言葉の意味が分かってきた。

 

確かに、目に見えるモノ、形を為しているものは

 

いつかは、壊れて無くなってしまう。

 

なぜ、幼かった僕にそんな残酷な事を教えたのか。

 

それは、逆に形のないモノ、目には見えないものは

 

僕が捨てなければ自分の中でずっと息づいている。

 

その事を教えたかったんじゃないだろうか。

 

幼かった僕にはわからないけれど、大人になって

 

大切なものを失った時に、このことに気づけるように

 

時間を超えて、僕は大切な事を教わった気がした。

 

人には誰にでも自分の力で壊せるものがある。

 

赤ちゃんでも壊せるおもちゃはあるし、

 

それが大人になるにつれて、壊せるモノは大きくなる。

 

それは、形あるもの、例えば家庭

 

形のないもの、例えば心

 

時間をかけて築きあげた大切なモノを

 

壊すのは簡単だ。

 

でも、壊れてしまったモノを再び元の形に戻すのは

 

ずっと難しいんだ。

 

 

今回のコロナウイルス騒動で僕たちはかけがえのない

 

尊いモノを壊してしまった。

 

失った命を偲び、今ある命を慈しみ、毎日が奇跡だと

 

知ることが、本当の意味での「自粛」ということなのでは

 

ないだろうか。