以前のブログで書きましたが

 

僕は前科持ちだ。

 

元受刑者だ

 

当然、そんな事はむやみやたらと周りに

言いはしないし、言ったところでドン引きされるだけだ

 

しかし、将来を共に・・・と思った人には

 

正直に話すことにしている

 

自分の過去を語る上で、どうしても嘘を

 

吐かなければいけなくなる

 

話にズレが生じる

 

本当に好きだから

 

本当の僕を見ていて欲しい

 

それでも相手が理解してくれると信じて・・・。

 

刑務所を出て、もう随分と月日が過ぎたが

 

「元受刑者」という僕のレッテルは決して剥がれてくれない

 

人は、何かあった時、最後まで味方してくれるのはやはり

 

「家族」だ

 

私には家族がない、生まれてすぐに母に捨てられ

 

私には血の繋がり、というモノがない

 

僕は他人に本当に信じられた事がない

 

いくら、表面上、真人間を演じてみても

 

一番理解して欲しい人に、信じてもらえない。

 

それは何故か、ずっと考えていた。

 

その考えの行き着く先はいつも

 

僕は生まれてきてよかったのか

 

という事だった。

 

生まれ育った施設では、僕は生活や、育児に困窮した母親が

 

仕方なく、預けて行ったのだと教えられてきた

 

 

しかし、僕を産んだ母親は僕が今のような人間になる事を

 

どこか感じるところがあって、僕を捨てたのではないかと思う。

 

最後に味方になってくれるであろう家族もいない

 

そんな僕が

 

一番信じて欲しい人に、信用してもらえない事が

 

こんなにも怖い事なのか

 

この得体の知れない恐怖は、僕が死ぬまで続くのかと思うと

 

目の前が真っ暗になる

 

信じて欲しくて頑張っても、結局は信じてもらえず捨てられる

 

思い返せば僕のこれまでの人生は、そんな走って、転んで、傷ついて

 

そんなのはもう、沢山だ。

 

なんて、安い人生だ、なんて、安い命だ

 

こんな世界など滅んでしまえばいい

 

そう思ってしまう事がある

 

僕を捨てた名も知らぬ母親に聞きたい

 

あなたは僕を産むべきじゃなかった、と