漆原裕治の21回大会 | SASUKEのこと それから勉強のこと

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ふと思い出したのでこの情報を…。


※知っている方も多いと思います。





SASUKE完全制覇者漆原裕治さんの話です。




番組で、漆原さんはSASUKEの予選に何度も出場し、何度も敗退した経験があると紹介されることは多いです。




それは事実です。

19・20回大会の予選会のことです。




しかし、22回大会予選をついに突破し、いきなりFinalに進出したというのは誤りがあります。




漆原さんはその前の21回大会において、「100人の中で一番早く出場権を獲得する」という快挙を成し遂げていたのです。





どう出場権を獲得したのかというと、21回大会の4ヶ月前に行われた、SASUKEのイベントで、オールスターズを抑えて、優勝したのです。




イベントは、山田勝己さんが地元で行ったもので、ハイプスライダー→ランプグラスパー(確か)→そりたつかべ(といってもただの坂)→サーモンラダー→新クリフハンガーのコースでタイムトライアルをしました。




クリア者は2人。



漆原さん(結果…54秒46、確か)



富野さん(前回のSASUKEに70番で出場。ジャンプハング改で脱落。結果…54秒80)



オールスターズ4人(確か山本、山田、竹田、長野)は全員新クリフハンガーでのリタイア。




でも、漆原さんは後一秒遅れていたら一位じゃなかったし、竹田さんと長野さんに関しては新クリフハンガー2本目までは10秒ほど差がありました。



まさに、ギリギリでの出場権獲得でした。





本番では、フライングシュートでの脱落でした。





しかし、そこでの経験が、22回大会での予選突破→Final進出、のちの2度の完全制覇につながったわけです。






つまり、結論を言うと、


漆原さんは、22回大会で予選突破→Final進出を果たし、2度の完全制覇を成し遂げるまでになったわけですが、そこまで行くのには、21回大会に出場を経験したことが大きく関わっており、出場権を獲得するのには、様々な奇跡(奇跡ってほどでもないけど…)が起こっていた。


ということ。




さらに詳しく言うと、


もし、漆原さんが21回大会に出場できていなかったら、例え22回大会予選を突破しても1stを突破できなかった確率が高い。そうならば、未だに3人目の完全制覇者が現れていないかもしれないし、そうだったら、ローリングエスカルゴ、スピンブリッチ、アルティメットクリフハンガーなど第4期に出来た名物エリアも見ることが出来ていなかったことになる。





これをさらに詳しくまとめると、


SASUKEは何があって、どうなるかわからない。だから面白い!!!


…結局、そういうことです(笑)