先日 Facebook で友人の方が
「ジョハリの窓」っていうのを紹介してくださっていました。
これは自己分析の一つで、自分を4つに分類して考えるというやつです。
興味ある方は是非ググってみていただけたらと思います。


でも私、この「ジョハリの窓」って聞いたらもう、
「浄玻璃の鏡」しか出てこないんです!

ご存知の方もおられるかなと思うんですけど、落語なんです。

「地獄八景亡者の戯れ」っていう落語があるんですね。
最初は5代目笑福亭松鶴がやってまして、それがめちゃくちゃ面白くて、小さい頃、よく聞いてました。
桂枝雀や、有名なのは桂米朝ですね。


話としては、人が死ぬわけです。
死んでから、色んな仲間を見つけて面白いストーリーがあるんですけど、その中で、死んだ後に三途の川行ったりとかして、なんやかんやで閻魔さんの所に連れてかれる。
閻魔さんとこに行ったら、閻魔さんの後ろに「浄玻璃の鏡」っていう、でっかい鏡があって、
その鏡は、生きてた時にしていた悪事が全部出るんですよ。
全部映されるの。
「お前こんなことした」「あんなことした」って全部言われるわけです。

それを見て、反省したりするけど、もうそこで反省したって、遅いんです。
取り返しつかないですよ。
だから
「生きてる間に、自分の中にこの浄玻璃の鏡を持って、見つめ直せ」
という話になるんです。

でも問題は、知らない間に起こしてる罪も、罪になるかってことなんです。
無意識のうちに結構やってる悪いこと、


無自覚に、結果的に誰かに悪いことになったとか、知らず知らずになってることは罪なのか。
罪自体はどうなのか、っていう。

知らんからって逃れることじゃないんですね。
人殺すことを悪いことと知らずに殺しまくったら駄目です。
やっぱり無知は罪なんです。

だから学ぶということを辞めてはいけない。
どういうことがいけないことなのかっていうのをずっと考え続けていくことが大事。
という話なんです。

後悔できて初めて人になるんですね。
その気づきは仏さんから得られるんです。

人の悲しみとか、苦しみとか、自分の悲しみを知ることで、懺悔して、次の人生へ繋げる。

そういう浄玻璃の鏡の話でした。
サゲはありません!笑
ありがとうございました!