知人宅での
発達障害の学習会に参加させていただきました。
今まで
ずーーっと
ずーーーーーっとモヤモヤしてたんです。
どうして、目や耳が不自由な人には
手を差し伸べましょう。
フォローしましょう。
っていう空気があるのに、
なんで「発達障害」となると
どうもコソコソした感じになっちゃうのか。
視覚障害や聴覚障害は
多くの人と同じように
目や耳の機能が使えないということで
発達障害も
多くの人と同じように
うまく考えたり表現したりすることができないということで
「障害」
って重く考えるんじゃなくて、
多くの人のなかで生活するうえで
困っている、
困ることがある、
という面では同じなんじゃないのかと。
程度の差や、
困難度を計るとどちらがどう、
とかいうことではなく。
つまり、
なんでコソコソすんのやと。
恥ずかしいことなのか?と。
当事者がコソコソするのが悪いんじゃなくて
そうせざるを得ない世の中であることが
とても不思議なんです。
私は、AD-HDです。
次男は、自閉症スペクトラムです。
私はそのことを、
悪いことだとも
恥ずかしいことだとも
まったく思ってません。
私がAD-HDであることがわかったのは、大人になってからです。
つづく