振り返ればほんの少し前に年が明けたと思っていたら、季節はあっという間に2月・如月へ。昨日の「節分」を経て本日は「立春」となり、暦の上では春を迎えました。とはいうものの陽射しは雲にさえぎられ気味で、「春とは名のみの…」という感じがしないでもありません。それでもここ数日前から午後5時を過ぎた頃も西の空はまだほのかに明るく

紅く輝く夕陽が山裾に姿を消すまでの時間も心なしかゆっくりになってきたように思います。

そのような中、ご近所のお宅の竹垣も春へ向けて青々とした姿に「模様替え」。

季節が変わるたびに職人さんの手を借りてきちんとした風情を保つことはさぞかし大変なのだろうなぁ、と思いながら、ふと気がつくと竹垣がきれいに築きあげられていく様子に見惚れていました。
ひるがえって広く世の中に目を向けると、そこにはやはり今だにコロナ…。そしてきな臭くなってきた国際情勢にも目が離せない状況となっています。ロシアと西側諸国が兵力派遣と心理戦を繰り広げるウクライナ情勢は一触即発ともいえる状況のようにも見えますが、いかんせん世界の東の片隅の島国に住む私たちには何もできません。現状では今にも開戦ということにはならないと思われますが、ウクライナから陸続きのヨーロッパ各国マスメディアの抑制の効いた情勢報告報道はかえって不気味な感もあります。

このところ毎朝、目が覚めて真っ先に気になることはウクライナ…という日々が続いてしまっています。かのコロナよりも危ない…かもしれません。
いっぽうのコロナですが、専門家といわれる方々の間でも「オミクロンは間もなくピークアウトか…」という見方とともに「亜種が見つかり、さらに感染が広がる」という予測もあって、こちらもウクライナ同様、予断を許さない状況にあります。それにつけても専門家の方々の分析が世間では果たしてどのくらい信用されているといえば、岩盤ともいえるような強い支持を得るまでには至っていないものと思われます。「この支持の度合いは何かに似ているなぁ、はて…」と少しばかり考えてみると、コロナの専門家の方々の予測は競馬の評論家や記者の方々の馬券予想と通ずるようにも思いました。

蛇足ながら、ワタシはコロナのことは詳しくはわかりませんが、こよなく愛してきた競馬に携わる記者の方々に対しては限りなきリスペクトの念をいだいています…。
たとえば、コロナウイルスの株を突きとめる遺伝子レベルのゲノム解析が説かれていますが、競馬でいえば血統からその競走馬の距離特性を探ることと少しは共通点があるように思われます。
そして、ヨーロッパやアメリカ、アフリカとアジアで感染状況が微妙に異なるとの傾向分析は、競馬の世界に置き換えてみると府中、中山、京都の淀、兵庫・宝塚の仁川といった各競馬場の馬場レイアウトの違いによって同じ競走馬でも得手不得手があり、微妙に走り方がかわる…といわれるように、環境面での差異が大きいことも似ているような…。
さらにはおおむね冬と夏に大流行するコロナの気候面での特徴は、競馬のレースの際の晴天続きのカチカチ固い馬場や大雨のぬかるみ不良馬場に馬がダメージを負いがちな傾向ともなんとなく共通しているかなぁ、とひとり静かにひっそりと分析をしてみたりしています。
このように、コロナ専門家の状況分析と競馬専門家の馬券予想に共通点がある⁉…というワタシの見方はけっしておふざけや冷やかしではありません。あえていうならば、どんなに緻密に慎重に分析しても、けっしてドンピシャな答えは得られないくらい、対コロナや勝ち馬を当てることは限りなく難しいことなのだろうな、と思う次第です。
コロナの感染予防にも、そして競馬にも「絶対」はありません。その上で「競馬は馬券を買ってみなけりゃ始まらない」のですが、コロナは「かかってしまうと災難の始まり」にほかなりません。
各地から梅や河津桜の開花の報も届き始めました。そして次の週末はまた3連休が控えています。春の気配に浮かれることなく、今一度気持ちを引き締めて慎重に穏やかに日々を過ごして。今年の春こそ、心の底から満開の桜を愛でたい…