それは今から4日前の7日の金曜日に「立冬」を迎え、暦の上ではこの冬はじめての日曜日となった9日午後。陶芸教室を終えてそそくさと横須賀線に乗ること約3分、北鎌倉駅を降り立ってほんの1分ほどのお店の前へ。このお店こそ、ワタシのこのブログでも何回か記述している、北鎌倉のランドマークというか、酔っ払いさんの聖地ともいえる「侘助」さん。漢字の店名表記として正しくは、人偏の右側はウ冠にヒの字を組み合わせた文字なのですが、Amebaブログでは変換不能な難関漢字?…。

まさに間もなく開演となる東家一太郎さんの浪曲会

へ向けて、準備真っ最中といったところです。
そして小雨そぼ降る午後3時半、いよいよ「東家一太郎『侘助 』浪曲会」の始まり…。

開演にあたり、このたびの浪曲会の席亭を務める写真家・関戸勇さんが、あらためて東家一太郎さんと妻で三味線を奏でる曲師の美(みつ)さんを紹介。そして今から15年ほど前に東北地方で一太郎さん夫妻にはじめて出会ってお二人の人柄と芸に惚れ、以来親交を深めてきたことを手振りを交えてほんわか、熱々トーク…。そして、関戸さんをはじめ北鎌倉の多くの人達が保存運動を活動中の北鎌倉駅横に残る「緑の洞門」保存運動にも一太郎さん夫妻が協力してくれていることも紹介し、「侘助」の店内に居合わせた40名を超えるお客様の間から万来の拍手が巻き起こったことは言うまでもありません。
思い起こせば、一太郎さん夫妻の浪曲会の折、一太郎さんが洞門保存に向けて会の合間にわざわざ時間を割いて、洞門の歴史や現状を解きほぐいてくれた光景を思いだしました。

蛇足ながら、この写真は今から7年前の冬に銀座のギャラリーで関戸さんの写真展に合わせて開催された浪曲会のワンシーンですが、一太郎さん、若い!…
関戸さんの席亭としてウイット溢れる口上を経て、一太郎さんの浪曲がスタート。まずは一太郎さん自ら、浪曲に無くてはならない「掛け声」の指導から。
たとえば浪曲を演じている際にお客様からの掛け声をいただくきっかけの合図として、扇子を右手に挙げた時は

観客は「たっぷり!」と声を掛け、
扇子を左肩側に掲げた時は

「名調子!」
そして、両手を大きく広げた時には

「日本一~っ‼」と大きな声で応えることがお約束、なのだとか。ワタシ自身、落語は子供の頃から聴いて育っていますが、浪曲は10年くらい前に関戸さんや洞門保存をとおして一太郎さんと知り合ってから。落語においては、掛け声や合いの手をかけることはほとんど無く、あらためて、浪曲楽しい…。
この日の演目は 忠臣蔵「大高源吾 腹切魚の別れ」と「俵星玄蕃」の二席。そして終演後のお礼の挨拶の折、席亭の関戸さん、一太郎さん夫妻が見せてくれた満足そうな笑顔とともに、お店のドア越しにうかがえる秋深き鎌倉街道の蒼い夕闇がとても印象的でした。

一太郎さんがFacebookにて、侘助での濃密な時間や演目についての解説等をアップしてくれています。
浪曲会が跳ね、軽い打ち上げ間際の店内。
「侘助」は、浪曲という古典芸能にはまさにうってつけ?ともいえる歴史と伝統、そして煙草のヤニがこってりしみ込んだなんとも味わい深いスポットです。
一太郎さん夫妻との打ち上げ後、そっと押し開いた趣あるドアのガラスに記されている店名も、心なしかいつもよりも輝いて見えました。
浪曲会 映り込みたる我が身を前に 慌てふためく老極かい…?