そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。
イザヤ35:8
この「大路」は、英語訳聖書では"highway"です。そう、日本語で何気なく「ハイウェー」と言っている言葉の大元がこれです。
New International Version
And a highway will be there; it will be called the Way of Holiness; it will be for those who walk on that Way. The unclean will not journey on it; wicked fools will not go about on it.
Literal Standard Version
And a highway has been there, and a way,
And it is called the “Way of Holiness.” The unclean do not pass over it,
And He Himself [is] by them,
Whoever is going in the way—even fools do not err.
英語は歴史的にはまだまだ新しい言語です。近代の英語が成立する過程で、1611年に確定したいわゆる"King James Version" -- 日本語で「欽定訳聖書」と呼ばれる、17世紀初頭の英国王ジェームズ1世が命じて編纂させた英語としての聖書が、英語の基本的な語彙を定着させるのに大きく貢献しています。(←大学で習ったことです)
このイザヤ35:6のKJVの翻訳も、
And an highway shall be there, and a way, and it shall be called The way of holiness; the unclean shall not pass over it; but it shall be for those: the wayfaring men, though fools, shall not err therein.
と、「大路」の所で"highway"が使われています。これが一つのお手本となって、以来、英語で聖書が訳される時には、ここの部分は"highway"という英語が使われてきました。英語圏のプロテスタント教会で広く用いられているNew International Versionでも"highway"と訳されています。
この"highway"は、原典のヘブライ語を確かめてみると、maslul (英字表記)という言葉です。意味は「高い道」。
つまり「天にある道」「神の道」「高いところにあって、普通の人間には届かない道」「聖なる人しか歩けない道」を指しています。
そうして、新約(新しい契約)がイエス・キリストの十字架と復活によって成立した現代にあっては、この"highway"は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)と言われているように、イエス・キリストその方そのもののことを指しています。