Courtesy of Marcia O'Connor
三位一体の偶像の宮から出て、聖書で書いてあるままの、パウロが異邦人に宣べ伝えた福音をそのまま受け継ぐ、イスラエルの神であられる天の父の治める神の国に、御子でありメシアであるイエスを信じる信仰によって入ることができると、驚くべき神のリアリティを毎日のように経験することになります。
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プロテスタントの一部の教会でも「臨在」という言葉によって、「そこに神がいること」を感じ取る…感じ取ったことを言い表すことは行われていますが、三位一体から縁を切って、イエス・キリストを介して、「唯一のまことの神」(ヨハネ17:3)であられる天の父の下に入ると、どういうことが起こるのか?
この神は、一度、「わたしは在る」としてモーセに語られた方です。
存在そのものです。すべての存在に先立って存在される方です。
もちろん、土からアダムを造り、この地に満ちている生き物の全てを創造なさいました。
また、この方が創造なさった天は複数形です。地をもお造りになりました。
全てを造られた方であり、御子イエスと共に全てに働かれておられる方です。
この方が、自分と一緒に生きて下さるのです。御子イエスを信じる信仰のゆえに。
そうすると、そこにあるのは「臨在」と呼ばれる、神の本当の現れを100万分の1程度のスケールで表した現象ではなく。
生きた神として存在されており、また、働いておられる方のすべてのご活動が、自分の毎日の生活において、また、家族の一人一人において、また、同じ信仰を共有する兄弟姉妹の一人一人において、現れるのです。わかりますか?
空や風や空気や土や周囲から聞こえてくる鳥の声や虫の音も相まって、毎日の生活の中で起こる、仕事の関係のことや、息子の学校のことや、毎食美味しくいただける食事の素晴らしさなども相まって、その人において、最も大切なこと、すなわち、イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の造り主であられる方と、親しく交わる。
その親しい交わりのゆえに、この方が「父」となって下さる。その、圧倒的な、喜び。その、圧倒的な、祝福。その、圧倒的な、恵み。
その「圧倒するような神のお姿」。それを、常時、経験することになるのです。朝起きてすぐに。起きている間中ずっと。また、夜眠りに入る時にも。
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それは、その人が、すでに神の国にいる、ということです。
神とともに生きているのです。
神が、その人と一緒に、生きて下さるのです。
アダムが創造された当初、この方と一緒におられた、あの状態が回復しているのです。
人間の想像をはるかに超えた世界です。人間の知性では捉えることのできない世界です。
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パウロ書簡をよく読むと、この方が治める神の国のことが克明に書かれています。
御子イエスと共に、この神の国を相続するのです。