Courtesy of Pedro Szekely
主イエス・キリストは、福音書の中で度々、弟子たちに「信仰がないのは、どうしたことです?!」と叱っておられました。
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
マタイ8:26
イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。
マタイ16:8
イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
マタイ17:20
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
マルコ4:40
このように叱られていた弟子の一人、ペテロは、後に、信仰により、イエスの名によって、生まれつきの足なえが一瞬にして立つという奇蹟を見る「自分の口から出る言葉」を発して、その「言った通りに」なりました。
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、
彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
使徒3章
このことが起こったのは、ペテロが、後に説明するように「イエスの名を信じる信仰」によって、です(使徒3:16)。
信仰があれば、このことができるということを、ペテロのエピソードが示しています。
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残念ながら、偽りの"神"である三位一体の偶像の下にいるうちは、信仰も何もないので、何も起こりませんが、父と子と聖霊とが三つにして一つという”神”が人工的な"神"に他ならないと気づき -- それは生ける神であられる天の父が気づかせてくれるのです。御子イエスの執り成しによって -- その宮から出て、唯一のまことの神であられる方の下に、御子イエスの十字架を通じて近づくならば、豊かな信仰をいただくことができ、聖書で書かれていることが、その信仰により、イエスの名によって、成就するのを見るようになります。
自分の口から言ったことが、聖書で書いてあることが、信仰により、主イエス・キリストの名によって、自分の目の前で成就していきます。これが、生ける神であられる天の父の御業です。新約聖書で、しるし、不思議、奇蹟と書かれていることです。イエス・キリストが天の父の右の御座にいて、執り成して下さるからこそ、起こるのです。ご自身の名が、その信仰者の口から発せられているのを聞いて、全能の神であられる父に執り成して下さるのです。アーメン!ハレルヤ!