すべてのものを通じて教える天の父。「互いに愛し合いなさい」を通じてわかる事柄(1) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marcia O'Connor

 

 

自分の神に関する理解が、まだ不完全なものであるうちは、よくわからないのですが、聖書に100%合致する形で、神の理解ができてくると、神であられる天の父は、すべての出来事やすべての出会いやすべての目にする書籍・テキスト、耳にするメッセージ、参加する集会などを通じて、「その人を教える」ということが、わかるようになります。

何度も書くように、ここでは、三位一体の"神"は、人工的な偶像であるとして切り捨てた上で、議論を展開しています。



主イエス・キリストが「唯一のまことの神」と呼んだ、イスラエルの神であられる天の父は、以下の聖句で言われているように、その人を教えます。

預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。
ヨハネ6:45

天の父が、その人を教えるやり方は、ある時は、近くにいる人を使ってその人の口をもって語らせ、ある時は書物に出会わせ、ある時はインターネットの検索を経てたどり着いた資料によってわからせ、ある時は事故や怪我や災害などによってわからせ、ある時は父母の行動から、ある時は通っていた教会で経験することから、ある時は聖書から、ある時は自然の事象から、ある時は夢によって、ある時は子供の頃に読んだ物語を思い出させることによって、ある時は自分の中の思考を導き、ある時は偶然の気づき、ある時は偶然の出会い、ある時はTVに流れてくるニュースで、ある時は毎週の日曜礼拝で…。という具合に、すべてのものを用いられます。

なぜなら、主イエス・キリストが言うように、その人の髪の毛一本ですら天の父によって数えられていて(マタイ10:30、ルカ12:7)、その人が寝るにも起きるにも食べるにも何するにも、神であられる天の父が、全知全能の創造主としてその人に関わるからです。

その天の父の働きを知らないのは、その人だけです。そうして、全世界にいる数十億人のほとんどが、そのように、天の父の働きを知らない。なぜなら、天の父は、隠れた所におられる神でもあられるからです(マタイ6:4、6:6、6:18)。

唯一のまことの神を知ることがないのは、それは、天の父の御心でもある…(ヨハネ6:65、ローマ8:28、第一コリント1:24。エペソ4:4、黙示録17:14)。



「教会/主イエス・キリストの新しい戒めを守る人々」について、理解が進んでくると、すべてのものを用いて教える神であられる天の父は、「キリスト信徒同士が、互いに愛し合う関係を通じて、教える」ということに、気づくようになります。また、その「互いに愛し合う関係」の、まさにその中に、イエス・キリストの救いや執り成しがある、ということに気づくようになります。

この気づきも、広い意味で、天の父がその人を教えているからこそ、気づくのです。

この気づきは、書物を読んでわかる気づきではなく、また、このブログを読んでも、よく理解できないでしょう。まさに、「新しい戒め」である「互いに愛し合いなさい」をキリスト信徒数名で、あるいは十数名で、実践しあう関係において、経験する中で、わかってくる類の気づきです。

 

経験によってしか、わかることがない「知」です。グノーシスのソフィアに属する「知」ではありません(すなわち神学では絶対にたどり着くことのできない「知」です)。イスラエルの神であり、愛の神であられる天の父と、御子イエスの十字架を前提とした「知」です。

従って、「新しい戒め」である「互いに愛し合いなさい」が、奨励されているのです。


ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

ルカ10:21