Courtesy of Ferd Brundick
手島郁朗についてWikipediaの説明を読むと、すぐに異端、などなどの文字が目につきますが、ここで、彼の宗教的な業績を短絡的に評価してはならないと思います。
私たちの教会では、本当の、初代教会の回復を、本気で、目指しており、ほぼそれが達成されている、というのが、新約聖書の各部分に照らして、得ている感触です。また、第一ヨハネの冒頭にある天の父と御子との交わり。この交わりをして、天の父から言われる内容に照らしても、時々は、御子である主イエス・キリストに伺って、いただけるお答えの内容からしても、初代教会は回復しています。実に、西暦325年のニカイア公会議以降(381年のコンスタンティノープル公会議を含め)千六百年ぶりの初代教会回復です。
手島郁朗のキーワードは「原始福音」です。これはもちろん、初代教会の回復を目指しています。彼も、記録の残っていない、お手本がどこにもない「初代教会の回復」に取り組んでいました。大多数のキリスト教会群、すなわち、三位一体の教義を掲げる教会群とは袂を分かって、そうした道を歩んでいたのです。(初代教会の記録がどこにも残っていないのは、多数派である三位一体の人々により異端と認定され、焚書に遭ったからだと推察します。そこには悪魔の顔が見え隠れします)
彼の歩みについて、息子である手島佑郎(ゆうろう)氏が日本キリスト教協議会宗教研究所主催のセミナーで語った内容がテキストに起こされて、インターネットに上がっています。これは貴重な資料だと思います。
語っているご子息の手島佑郎氏は、熊本大学法文学部哲学科の途中で、イスラエルのヘブライ大学に留学、哲学と旧約聖書学を専攻。同大学卒業後米国に渡り、ニューヨークのThe Jewish Theological Seminary of Americaアメリカ・ユダヤ神学校大学院に入学をし、「ハシディズムと禅仏教の比較」という論文でヘブライ学博士号を取得された宗教学者です。
つまり、宗教学者の目線、しかもヘブライ学を学んだ方の目線で、原始福音を説いていた父の手島郁朗氏について解説がなされているのです。これは極めて大きな価値があると思います。
手島郁朗の名前を知ったのは、以下の投稿に書いてある経緯によります。京都を訪問して、あるキリスト教系(異言を取り入れている)の集会の主催者の方にお会いした際に、その集会の由来を伺うなかで、キーパーソン4人の方の一人として手島郁朗の名前が出てきました。
「聖霊体験」の2000年の歴史を簡単にまとめてみました(上)