イエス・キリストが伝えたままの福音、初代教会が信じていた信仰 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

 

Courtesy of Pedro Szekely

 

ヨハネの福音書8:24では、主イエス・キリストは、ご自身のことを「わたしはある」という方だと証ししておられます(特に以下の新共同訳を参照)。
英語訳聖書では"I am he"と訳されているものが多いですが、ギリシャ語原典で確かめると"egō eimi"、つまり"I AM"というテキストになっており、それはすなわち、出エジプト記3:14で、モーセに現れた神が「わたしはある」という方だと証しされたのと同じ表現です。

ヨハネの福音書8:24(黒崎幸吉著 註解新約聖書より + 新改訳第三版)
文語訳
之によりて我なんぢらは己が罪のうちに死なんと云へるなり。汝等らもし我の夫なるを信ぜずば、罪のうちに死ぬべし
口語訳
だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。
塚本訳
だから『あなた達は自分の罪のうちに死ぬであろう』と言ったのだ。あなた達は、わたしがそれ(救世主)であることを信じなければ、自分の罪のうちに死ぬからである。」
前田訳
『あなた方は罪のうちに死のう』といった。わたしをそれ(キリスト)であると信じなければ、あなた方は罪のうちに死のう」。
新共同
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
新改訳第三版
それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」
NIV
I told you that you would die in your sins; if you do not believe that I am [the one I claim to be], you will indeed die in your sins."

出エジプト記3:14
新改訳第三版
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」

紀元1世紀にユダヤの地で宣教されていたナザレのイエスが、これを語っておられた歴史的文脈を考えると、彼は、出エジプト記3:14を念頭に置きながら、あえて「わたしは、『わたしはある』という者である」という表現の中の『わたしはある』を、自分にも適用して、『わたしはある』という者だと、ご自身を証されたのです。

これが一足飛びに三位一体の神にならないことにご注意ください(三位一体の神とは、父と子と聖霊とが三つにして一つという神。紀元381年のニカイア・コンスタンティノポリス信条によって成立した神認識)。

へり下って申し上げますが、天の父との交わりの中で(主イエス・キリストを大祭司として、唯一のまことの神であられる天の父と交わる)小職が教えてもらったところでは、聖霊は神ではない、ということです。確かに聖霊は神ではない。聖書のどこにも、聖霊が神だとは書いていない。聖霊については、御子イエスも様々なに説明していますし、パウロも様々に書いています。しかし、どこにも聖霊は神だとは書いていない。確かに聖霊には、お気持ちもあり、悲しむということが書かれていますし、聖霊が下って日常的に共にいることを経験するようになると、喜ばれる方ですし、時には笑うことさえあります。しかし、それは、神ではなく、神の霊。天の父から御子イエスの名によって私たち信じる者に遣わされた霊です。霊は天地創造を行いません。神は天地創造を行います。

○その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

ヨハネの福音書14章〜17章では、非常に詳しく、御子イエスの口から、天の父と御子イエスの関係が語られています。これをよく読めば、天の父が「わたしはある」という方であるのならば、御子イエスも「わたしはある」という方だということが、よく納得できます。しかし、ここに、聖霊を神として置くことはできない。そうした説明はどこにも書いていない。聖霊はパラクレイトス(その人のために代弁する者)であり、それを霊として行うのです。天の父から御子イエスの名によって下った「霊」なのです。聖霊は神ではないのです。

ここが、しっかりと頭に入らないと、ヨハネ8:24は永遠に理解できないですし、また、天の父も、イメージがぼんやりとしたまま、ご自身の死を迎えることになります。

父を知り、子を知らなければ、永遠の命はありません。

 

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

ヨハネ17:3


紀元1世紀にイエス・キリストが宣教したままの内容を受け止め、紀元1世紀に初代教会のメンバーが信じていたままの信仰を取り戻す必要があります。

後代3世紀〜4世紀にかけて、旧約聖書をほとんど読まずに、現在の新約聖書の各書のみ読んで、神を論じていたグノーシスと新プラトン主義に影響を受けた司教達、初期神学者達が頭で作り上げた、多数決で決めた教義である三位一体から、即刻、出ないと、聖書の神を何も知らないまま死を迎えます。