天の父を知らない限り、その人に救いは来ない(1) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marcia O'Connor

 

主イエス・キリストは、御子の立場で、「唯一のまことの神」は、天の父であると教えています。

イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

ヨハネ17:1-5

カトリック教会やプロテスタント教会やペンテコステ教会のように、自らが正統であることを証明するために三位一体の神を捨てることがない教会にいる限りは、この「唯一のまことの神」を経験することはできません。

本当の神は「父と子と聖霊が三つにして一つの神」などというものではないのです。

御子イエスご自身が、「唯一のまことの神であるあなた」と、天の父に対して告白しているのです。天の父こそが、唯一のまことの神であられるのです。
また、パウロも、当時のトップレベルのユダヤ教の教育を受け、ヘブル人(イスラエル人/ユダヤ人)をも導ける神の理解を根底に持って、天の父を「唯一の神」と書いています(ローマ16:27、第一コリント8:4、8:6、第一テモテ1:17)

三位一体の教義を展開する人達は、「唯一のまことの神」および「唯一の神」が「父と子と聖霊が三つにして一つの神」だと主張するのでしょうが、冗談もいい加減にして欲しいと、切に思います。

その神が、あなたを本当に救ってくれましたか?
あなたから、罪責感が完全に消えましたか?
あなたの性欲は、本当の聖霊によって、消えていますか?
あなたの祈りは聞かれていますか?
あなたの家族は幸せですか?
家庭不和がありませんか?
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。これが本当に成就していますか?


本当の神を信じているのであれば、その神が、上の疑問に全て「イエス」と答えられるように、全てをよくして下さっているはずです。

○三位一体の神は、異端と見なされたくない恐怖でキリスト教会群を支配して来た

三位一体の神、すなわち、「父と子と聖霊が三つにして一つの神」は、実に悪魔的な支配力で、「三位一体を外れた教会は異端とみなす」という恐怖でもって、カトリック教会とプロテスタント教会とペンテコステ教会を支配しています。実に恐るべき支配です。381年のコンスタンティノープル公会議で三位一体の教義であるニカイア・コンスタンティノポリス信条が定まって後、千六百年間にわたってキリスト教会群のほとんどを、「異端と見なされたくない」という恐怖で縛って来ています。

この恐怖があるうちは、天の父の愛はわかりません。また、天の父の愛を経験することもないです。
並行して、主イエス・キリストの十字架と復活による、本当の罪の赦しを経験することもないです。なぜなら、主イエス・キリストの十字架と復活は、唯一のまことの神であられる天の父の、人知をはるかに超えた神の力によって現実のものとなっているからです。

使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです――
ガラテヤ1:1

神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

エペソ1:20-21

 

この他、イエス・キリストを死者からよみがえらせた神についての言及は、パウロ書簡の中に全部で22カ所ありますが、そのいずれにおいても、父なる神がそのことをなさったと書いているのです。すなわち、父なる神こそが、神の力によって、御子イエスを復活させた、その神の力こそが、私たちをも救って下さるという文脈で書いているのです。イエス・キリストの十字架を通じて、私たちを救って下さるのは、天の父の方なのです。これが三位一体の教会にいると全くわからない。由々しきことです。

天の父こそが、唯一のまことの神として、御子イエスを十字架にかけ(それは私たちアブラハムの子孫となるべき民を天の父が救うため)、よみがえらせたのであり、そこに、私たちが到底理解できないような神の優れた力が働いているのです。その同じ神の優れた力が、私たちを、地獄のようなこの世の諸々の悪霊渦巻く中から、御子の十字架と血によって救い出して下さるのです。

御子は主イエス・キリスト。すなわち、油注がれた方。王の王。私たち信じるものの規範です。どこまでも、どこまでも、規範として仰ぐべき方であり、そのお言葉を守らなければならない方であり、私たち自身も私たちの十字架を背負って、御子であるイエス、メシアであるイエスに倣って歩んでいかなければなりません。

しかし、御子はメシア。油注がれた方。王の王。唯一のまことの神は、天の父なのです。

ここのところを、はっきりと理解しない限り、また、自らの信仰告白として言い表さない限り、その人が本当に救われることはないし、主イエス・キリストにある自由を実感する日は絶対に来ないし、悪霊からも解放されないし、ダビデが「いつくしみと恵みとが私を追いかけてくる」(詩篇23)と書いた、そうしたこの世のものではない恵みやいつくしみ、祝福を経験することもないでしょう。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23:6