女性は「自己愛」を手放した時にイエス・キリストにめぐり合う | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Adobe: Copyright cleared

 

○Instagramのセルフィーも自己愛の表現

 

夏目漱石の昔から、日本の近代化は「自己愛」の問題を抱え続けてきた近代化だと言って良いでしょう。夏目漱石の「こころ」の先生は、親友から妻を奪った自分に関する自己愛の問題から脱却することができずに、自死を選びました。芥川龍之介は、自己愛のために自殺を選んだと言って良いでしょう。
現代に入っても、村上春樹初期3部作は自己愛を客観化できない青年の話だと読めます。

宮藤官九郎脚本の「あまちゃん」は、自己愛をめぐる岩手県出身の少女のストーリーだと言うことができますし、同じ宮藤官九郎のドラマ「俺の家の話」に出てくる高齢の宗家(西田敏行)は自己愛をこなしきれずに、70歳80歳にもなってまだ人に迷惑をかけています。

現代のInstagramにあふれている女性の写真は自己愛の表現そのものだと言うことができますし、女性が書くブログやFacebook投稿やTwitterのツイートの多くは、自己愛に関するナラティブ(物語)になっています。男性にも無論、自己愛はあるわけですが、本稿では特に女性の自己愛に焦点を当てます。

○パーソナリティ障害のキーワード「自己愛」

女性の場合、自己愛は、鏡の中の自分を見つめ続けることであり、かつ、自分を人と比較して上なのか、下なのか、常にチェックする姿勢と結びついています。これは、象徴的に言えば、白雪姫の中の継母が鏡に向かって「世界で一番美しいのはだれか」と問う、あの姿勢だと言って良いでしょう。常に、人から見られる自分を、人と比較して、上か、下かを問題にします。

自分が人より上であれば、そのように相手とコミュニケーションする。あるいは、コミュニケーションをしないで、その人から立ち去る。
自分が人より下であれば、そのように相手とコミュニケーションする。そして、その相手を、ある意味、コントロールする。

昨日、パーソナリティ障害の専門家である精神科医・岡田尊司「パーソナリティ障害」(PHP新書)を読み返していて、パーソナリティ障害のキーワードが「自己愛」だと言うことを発見しました

引用
パーソナリティ障害の人の特徴は、「自分に強いこだわりを持っている」ということである。口に出していうかいわないかは別として、パーソナリティ障害の人は、自分に囚われている。(第1章)

もう一つの共通する特徴は、「とても傷つきやすい」ということである。健康なパーソナリティの人には、何でもない一言や些細な素振りさえ、パーソナリティ障害の人を深く傷つける。(第1章)

 

上に述べたパーソナリティ障害の特徴、つまり、自分へのこだわりと傷つきやすさ、そして、信頼したり、愛することの障害は、パーソナリティ障害が自己愛の障害であることに由来している。(第1章)

自己愛が過ぎるのです。

○自己愛は逸脱した性交渉やスピリチュアルに至る

同書によると、10の類型があるパーソナリティ障害の中でも、特に出現頻度が高い境界性パーソナリティ障害が精神科に通う患者に占める割合は10%に近づきつつあり、女性の比率は男性の約3倍だとのことです。

悪霊の問題があって過去にやり取りがあった女性のケース20例程度を振り返ってみると、ほぼ全てにおいて、同書に記述があるパーソナリティ障害の現れが認められます。詰まるところ、その人の自己愛が強すぎて、悪霊が取り憑く原因になった行為に入って行きます。すなわち、逸脱した性交渉。ないしは、占いや自己啓発などの異教の神が根底にいるスピリチュアル。それらのいずれか、ないしは、双方に没入することになります。そうして、10年20年が経過します。

○親に原因があるとしても、問題を取り扱うべきは本人

同書によると、パーソナリティ障害の原因には、親の育て方があるそうです。四、五歳までの母親の育て方が、子供に対して、十分な愛を注ぐものでなかった場合(スキンシップが不足している等)、子供が健全な人間関係の枠組みを持つことができず、それが長じて、青年期少女期の時代に問題が現れ始め、成人になってその問題がより深刻化していくことになります。

悪霊の追い出しで関わった全ての人に、必ず、親の問題が現れます。これは、パーソナリティ障害の文脈で言う子供と母親の関係とは別な次元の問題ですが、その一端はスキンシップなどにも現れるはずです。母親だけでなく、父親の問題も多くあります。

ほぼ全ての家庭では、本当の意味で、父親が存在していません。その父はと言えば、一つ上の世代の父がすでに父親としての役割がおかしくなっていた…。それを上の世代へと辿っていけば、太平洋戦争の敗戦で、男が男として振舞うことができなくなった時代にまで遡ります。あの戦争は負けるべくして負けた訳ですが、戦争の一般論として、負けた国の男ほど惨めなものはありません。全ての自信を喪失します。したがって、家庭の中でも、父親として威厳をもって振舞うことができなくなります。

悪霊の問題を持つことになった人たちのほぼ全てには、そうした親の問題が深く関わっています。

しかし…。その当人は、すでに二十代、三十代、四十代になっています。社会から見れば大人です。抱えている問題はその人のものです。いくら親に原因があるからと言って、親を引っ張り出してきて「あなたのせいで、私に悪霊が入った」となじることはできません。

問題の本質は、冒頭から記している「自己愛」。
鏡を覗いて、自分が人よりも上か、下かを問い、それによって自分の相手に向き合い姿勢を変える、その「自己愛」です。その自己愛はその人のものです。本人が取り扱わなければなりません。

○自己愛がある限り、イエス・キリストの救いから遠い

聖書の文脈では「自己愛」は偶像です。本当の神ではありません。
正確に言えば、「自己愛」の中の『自己』が偶像になっています。
『自己』を見つめてうっとりするのが、偶像を愛する愛です。すなわち、十戒できつく戒められている偶像崇拝です。上に記した白雪姫の継母も自己愛の偶像崇拝者です。

自己愛がある限り、イエス・キリストからはほど遠いです。
自己愛がある人には、イエス・キリストの救いが入りません。
自己愛がある人は、何度も何度も、同じ罪を繰り返します。
自己愛がある人は、いくら聖書を読んでも、心の板には書き付けられません。読んでもすぐに忘れてしまいます。いざと言う時に、イエス・キリストの教えを実践することができません。なぜなら、イエス・キリストへの愛(ヨハネ14:23)にまさって、自己愛が出てくるのですから、御言葉を守ることなどできないのです。

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
ヨハネ14:23

○「自己愛」という偶像は、徹底的に破壊すること

聖書の文脈では、偶像は、破壊し尽くさないといけないです。三位一体という、これもまた偶像を掲げているキリスト教会では、偶像を破壊することがいかに大切かを教えることはありませんが、主イエス・キリストが「唯一のまことの神」とおっしゃった天の父を(ヨハネ17:3)、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて礼拝する教会では、旧約聖書で繰り返し記されている偶像の破壊を教えます。

聖書の検索ができる環境にある方なら、「アシェラ像」で検索してみて下さい。この偶像を破壊し尽くすことについて、数多くの教えが出てきます。
そのように、偶像は、破壊し尽くさなければなりません。

いや、あなたがたは彼らの祭壇を取りこわし、彼らの石柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒さなければならない。
出エジプト記34:13

むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。
申命記7:5

彼らの祭壇をこわし、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を火で焼き、彼らの神々の彫像を粉砕して、それらの名をその場所から消し去りなさい。
申命記12:3

「自己愛」も偶像ですから、そのようにしなければなりません。
徹底的に破壊し、火で焼き尽くし、自分の中から除き去らなければなりません。
それがなければ、主イエス・キリストの救いが及ばないです。
偶像のある所に、十字架のイエス・キリストは立てません。

それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。

第二コリント6:17-18

 

そうして、自己愛を手放した時に、以下の御言葉を守ることができるようになります。

 

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。

マタイ22章

「あなたの神である主を愛せよ」の「主」は、御子イエスが生きておられた1世紀当時の時代背景を念頭に置けば、旧約聖書の「神である主(YHWH)」、「イスラエルの神」、すなわち御子イエスによって「天の父」と紹介された神のことです