この頃の誤り→”クリスチャンとして祈ることの基本” | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

2020年3月に書かれたこの投稿においても、まだ、誤りが見受けられます。

 

何が誤っているのか?何に勘違いがあるのか?

 

天地創造の神を、自分のことにために、動かそうとしている。

それこそが、誤りです。

 

私たちは、天地創造の神である天の父によって造られた被造物であり、あくまでも、造られた者です。

造られた者が、その方のご計画や御心を一切知ることなく、自分が欲しいもの、自分が願うものを、祈りで切々と訴えても、かなえられるはずがありません。

 

本末転倒。先になるべきものが、後になっているのです。

一番、末端に位置しなければならない、被造物である自分が、神より先に立っているのです。

 

そうした祈りは、かなえられません。

自分の欲することのために、神を動かそうとする祈りは、かなえられません。

 

その種の祈りは、邪教、異教に属します。そうした祈りを発想すること自体が、邪教、異教の影響を受けています。

その人は、イスラエルの神のものではありません。アブラハムの子孫ではありません。