聖書に散りばめられている預言は、ほとんどの人間が気づかない形で、しかし当事者にははっきり分かる形で、成就すると考えるべきだ。
別な言い方をすれば、何年何月何日にこの聖句の預言が成就する/したという形ではない。
メシア預言が成就したことを理解したのは、1世紀当時一握りの人達だった。
エホバの証人の何年何月何日にどうこうという聖書解釈は外れた。同様に艱難前携挙の聖書解釈も外れる。
神のなさることは人間の時間感覚を超える。主の前では一日は千年のようであり千年は一日のようである。
ひょっとすると今は、神の天地創造の七日目、安息の続きかも知れない。
ノアの時の洪水のように、神を否定する人たちには、滅びは一瞬のうちに来る。それもまた神の御心。
神を愛する人たちには、前もって何が起こるかを告げられる。聖書に書かれている。
イエス・キリストが刻み込まれている人たちを、諸々の患難は過ぎ越す。
第二次世界大戦の時、ドイツ国内でヒトラーのナチスが蔓延する状況で、ドイツの本当のクリスチャンは何を感じていたか?世の終わりだと感じていなかったか?
同じ頃、現人神を掲げる日本に対して2つの原爆を落とした米国にいて、本当のクリスチャンは何を感じていたか?世の終わりだと感じて…?
神のカレンダーは人間のカレンダーとは異なり、人間にはわかり得ない。聖書の預言の成就も、いつどのような形で、どこで起こるのか、人間にはわかり得ない。(必要な人に聖霊や御使いが教えることはある。マリアの受胎告知のように)
御子イエスの再臨も、人知をはるかに超えた形になる可能性がある。