Twitter投稿から:友のために命を捨てる愛 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

 

イエス・キリストの教えの中で最も受け入れにくいのは、友のために命を捨てる愛を実践すること(ヨハネ15:13)。キリストの弟子として本気で歩もうとする時、天の父は必ず、ここに向き合うようにその人を導かれる。なぜなら信徒はキリストと同じことを行うように整えられると各所に書いてあるから。

友のために命を捨てる愛と並行して、主イエスは兄弟同士で足を洗い合いなさい、主イエスがペテロの足を洗わなければ、あなたと私とは何の関係もないとおっしゃっている。つまり主イエス・キリストがペテロの罪を赦したように(足を洗ったように)、兄弟同士で罪を赦し合いなさいと教えている。

現代社会では、すべてのクリスチャンがものすごい罪を抱えている。ここで言う罪とはギリシャ語原義のハマルティア、神から見て的外れ=聖書の言葉から外れた生き方、考え方、価値観、肉の癖、繰り返す行動パターン。

こうした罪を、愛する兄弟姉妹同士で赦し合うことを主イエスは求めておられる。

例えばペテロは主イエスを3度否定した。これは、聖書の神の言葉に照らせば、大きな罪であることは間違いない。これを主イエスは赦した。つまりペテロの足を洗った。
これと同じことを兄弟姉妹同士でしなさいと、主イエスは教えている。

けれどもこれは、最もできにくいことである。人間として、その人を絶対に赦せないということは、よくある。聖書的ではないその人の行動を、言葉を、「私は絶対に赦せない」ということはよく起こる。最も近しい家族において、最も近しい牧師や信徒との関係において、このことはよく起こる。なぜなら人間社会にはサタン・悪霊が働いているから。

サタン・悪霊は、人に、神の言葉の反対を行わせる。アダム・エバの昔からそう。

なので「その人を絶対に赦せない」ということが、最も近しい兄弟姉妹の関係で起こる。主イエスとペテロのように。

それを赦し合いなさいと、主イエスは教えている。互いに足を洗い合いなさいと。

これが難しい。
見上げると、十字架に付けられた主イエス・キリストがいる。

友のために命を捨てた主イエス・キリストがいる。友のために命を捨てることほど大きな愛はありません(ヨハネ15:13)を、実践した神のひとり子がいらっしゃる。

友は最も近くにいる兄弟姉妹。友の赦せない罪を、自分の命を捨てて赦す。