私たちは、この世の神が支配するこの世的な状況に生きていると同時に、主イエスが十字架とよみがえりによって達成された「神の国」においても生きています(ヨハネ17:11-26)。人間が生き物としてこの地上で生きている限り、完璧に100%神の国に入りきって生きることはできません。ある程度までは、この世の事柄に関係しながら生きています。
パウロはこの世の人たちと付き合わない方針で行くなら、この世界から出ていかなければならないと書いています(第一コリント5:10)。色々な意味で、イエス・キリストを信じる真のクリスチャンは、この世と関わって生きていかなければなりません。
こういう状況で、自分において「神の国」の比率を増すには、ヨハネの福音書14章〜17章で整理されている父、子、聖霊の関係、自分がどのようにして祈ることができるのか、どのようにして祈りに応えていただけるのかに関する信仰を豊かに育むこと。そうして、聖書の基本的な命令を守ること。そうした、ごくごく、基本中の基本と言うべき事柄に集中するのが最短距離です。
例えば、使徒の働きで、ペテロとヨハネが美しの門にいた足のなえた人を「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、右手を取って立たせた奇跡が起こった時、この状況で、ペテロやヨハネはほぼ100%神の国の中にいて、「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と口から出した。そこに神の力が働いて奇跡が起こった。そういうことが言えます。
主イエスが説いた「神の国」とは、サタンの影響が完全に排除された状況、つまり、アダムとエバが堕落する前の状況のパラダイスがこの地の上に回復された状況です。そこでは、主イエスの名によって祈ったこと、言ったこと、宣言したことは、主イエスがなさったのと同じように成就します。神の力が働くからです。神の国は神の力が100%働くところだと考えればよいでしょう。
一方で、私たちはこの世においても生きているわけです。そういう中で、自分において、あるいは自分の周囲において、「神の国の度合」を上げるためには(別な言い方をすればペテロやヨハネのように生きるには)、繰り返しになりますが聖書の基本的な命令を守ることが不可欠です。
その1つが、何についても主イエスの名によって感謝することです。
特にこの新型コロナの影響によって、自分の周囲が大きく動いている時に、仕事や経済に変化が生じている時に、いつも感謝する、それも、主イエスの名によって感謝する、ということには大きな意味があります。その感謝を聖霊も聞かれますし、天の父も聞かれます。その感謝を天の父も主イエスも喜ばれます。
神は、被造物である人間が喜ばれることを見て、お喜びになるのです。
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
(エペソ5:20)
あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
(コロサイ3:17)
ごく小さなこと。例えば、今朝朝食で食べたパンがおいしかったことや、コンビニで必要なものが買えたこと。そうしたことについて、「主イエスの名によって、今朝食べたパンがおいしかったことを感謝します!」、「先ほどコンビニで枕が買えました。主イエスの名によって感謝します!」と言葉に出して感謝します。心の中で言うだけでなく、口から言葉にして出して言います。小声でも良いですし、ささやき声でも良いです。神に関わることはすべて口から音にして出すことが重要です(なお、聾唖の方は手話でこれを行うことができます)。
(枕が買えたというのは私の実話で、最近シェアハウスから古いマンションに引っ越したのですが、まだ枕がなく、やや遠いホームセンターで買おうかどうか考えていたところ、セブンイレブンの雑誌コーナーでまさに枕が売っていました。よく雑誌の付録にバッグなどが付いていますが、あの”枕”版です。ハレルヤ!)
これを心がけていると、あることに気づきます。
新約聖書で言う「万物」。御子イエスに天の父がお渡しになった「万物」。御子が力あるみことばによって保っておられる「万物」。おいしかった朝食のパンも、コンビニで買えた枕も、御子がみことばによって保っておられる「万物」の1つなのです。万物については主に以下のみことばで書かれています。
父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
(ヨハネ3:35)
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
(コロサイ1:16)
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
(ヘブル1:3)
小さなことについて、主イエスの名によって感謝する、ということを心がけていると、自分が経験したこと。自分に与えられた物。いただいているお金。今ある仕事。大切な家族や友人や人間関係など。そうしたものの1つひとつに、実は、神が関わっている、神がリアルタイムで創造を行われている、神が生き生きと動かれているということが、少しずつわかってきます。それらがすべて「万物」なのです。
小さなことに感謝するクセを付けると、当然のことながら、大きなことにも感謝できるようになります。また、感謝することが非常に難しい状況でも、神がして下さった良いことを思い出すことが容易になります。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
(詩篇103:2)
そうすると、自分の思いの中に沸き起こる不安や疑念。あるいは、この世の神の霊に影響された人の言葉から来る攻撃や焦りや不安。そうしたものの中でも、主イエスの名による感謝をよすがとして、天の父、御子イエス、聖霊につながっていられます。自分の中における「神の国の度合」が増すのです。
自分の中における「神の国の度合」が増している状況で、主イエスの名によって祈ると(ヨハネ14章-17章で教えている事柄に関する幼子のような信仰をベースに祈ると)、必ず、神から応答があります。
ごく小さなものについても主イエスの名によって感謝している人は、神の国の中にいると考えればよいでしょう。