●大変に重要
自分を十字架に付けることによって、自分の内にキリストが生きるようになる。それは神の知恵。それが神を知ること。隠された奥義としての神の知恵。御霊によって啓示される。十字架のことば。
自分の肉を十字架に付けることと、御霊によって歩むこととは、同意。
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これからこのことについて、何度か書いていきたいと思います。悪霊を追い出す時に使う、イエスの名、に関する正しい理解を得る上でも、クリスチャンとして決定的に重要である、へりくだり、を身につけるためにも、このこのは重要です。
このこととは、コリント第一で、「十字架のことば」という表現で表されている事柄です。
コリント人への手紙 第一 1章18節
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
この「十字架のことば」は、いくつかの英語訳を見ると、「十字架のメッセージ」と訳されています。そちらの方がわかりやすいので、以降は、十字架のメッセージと記します。
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十字架のメッセージとは、自分を十字架に付けることによって起こる様々な事柄が、この上なく良いものであるので、みんな、自分を十字架につけようよ。簡単に言えば、そういうことです。
自分を十字架に付けることを何度も繰り返し述べているのは、パウロです。
ガラテヤ人への手紙 2章20節
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
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自分が十字架に付けられるとは、どういうことか?
ガラテヤでは、御霊の反対の存在である「肉」を、十字架に付けると表現しています。
ガラテヤ人への手紙 5章17~24節
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
まずは、ここまでです。