◼︎意味ある偶然の一致

シンクロニシティは、臨床心理学者C.G.ユングが提唱した概念で、「共時性」と訳されており、「意味ある偶然の一致」のことを指します。
スティングがポリス時代の昔に、同じ名前の歌を歌っていましたが(懐)。同じものを取り上げていたようですが、タイトルだけだったかなというところもあります。今から思えばあの時代の雰囲気がよく出ている名曲だと思います。しかし聖書的ではありません…。残念ながら。

シンクロニシティは、イエス様が出現してからの新約的な文脈においては、大いにある話で、聖霊様が教えて下さるこれから起こること預言が示してくれる神の意図と、大いに関わり、クリスチャンに「ああ、そういうことだったのか!」と納得させる物事の起こりがそれです。

聖霊様が教えて下さった先々の事柄。それが、現実に目の前で起こると、自分の経験の印象としては、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)的な印象を抱きます。
預言の賜物を持った方などから預言をいただいて、その預言を把持し、いざその預言が成就した時にもやはり、自分の経験の印象としては、シンクロニシティ的な印象になります。

何というか、腹に落ちる納得感…。
ああ、そうだったのか!
神様の意図はそういうことだったのか!
イエス様はこのように働かれていたのか!
聖霊様がこうやって助けて下さったんだ!

シンクロニシティは、心的にそういう印象を残します。

奇跡もほとんど同じです。奇跡も、その方においては、人生の決定的な局面において起こり、その印象は、シンクロニシティ的な印象となります。おおおお!そういうことだったのか!さすが神様!

個人的には2回、クアラルンプール空港と、大阪から東京に戻る夜行バスの中とで、奇跡を経験していますが、その時の心的な印象は、まさにシンクロニシティという感じでした。神様はすごいです。ハレルヤ!

◼︎イエス様の証しが、同じイエス様の証しを生む

イエス様の証しは、それを聴いた人に、同じイエス様の証しをさせるような経験をもたらす、という話を聴いたことがあります。

例えば、ある人から、イエス様が働いて下さったとしか思えない奇跡の話を聴いたとします。いわゆる証し(あかし)です。

この時、その人が、そういうイエス様の証し、奇跡の話を聴くという状況そのものが、すでに神のセッティングによるものになっていることが多いです。福音に接する状況そのものが、おそらくは、100%、神のセッティングによっています。

 

なので、そこにはすでに、シンクロニシティを起こさせる、ユング心理学用語で言ういわゆる布置(Constellation)が生じています。そう、神のセッティングは、ユング心理学用語で言う布置です。

布置とは、目に見えないところに配置されている、意味ある事柄のセットと言ったところ。原義は「星座」です。星のように、意味ある事柄が配置されています。聖書的には、これを主なる神が行います。

イエス様の奇跡の証しを聴いた人は、そういう話を聴いて、霊的には(聖霊様に関わる内的な準備態勢としては)、スタンバイ状態になっています。

そして、ある事柄と、ある事柄と、ある事柄とがあって、その方にとって、もっとも良いタイミング、布置がマックスになったところで、スコンと意味ある偶然の一致が起こります。それが奇跡です。そして後から振り返ってみると、あの時あの人から聴いたあのイエス様の証しの話。あれと同じことが起こっているやんか!すばらしい!神様すごい!イェー!となります。

まさにシンクロニシティです。


さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:8-12)

 

Photo courtesy of David Yu