スポンテニアス・ワーシップの賛美礼拝についてたくさん書いています。これは、自分の部屋の中で個人礼拝賛美を行うためのフォーマットとしては大変に優れています。

 

■毎週日曜日の礼拝参列

 

しかし、Youtube動画のスポンテニアス・ワーシップにより自室で個人礼拝賛美をたくさん行っているからと言って、リアルな教会に行かなくてもよい、というものではないと思います。信者は必ず、1つのリアルな教会に結び付いているべきです。そして、

毎週日曜日の礼拝に参列することは、信者の責務です。主は教会を愛しておられます

 

毎週教会の礼拝に参列する以上は、礼拝の時にだけ席に座っていて、終わったら誰とも話をしないでさっと帰ってくる、というのではなくて(私は一時期そんな風でした。今は違います)、最低でも3人の兄弟姉妹と「やあやあ最近はどうだい?」(ヘルマンヘッセ風)というようなやりとりをして、いわゆる信徒間の交わりをして、それから教会堂を後にすべきです。本来ならば、何らかの奉仕の役割を1つ持って、それについてはしっかりとやるのが望ましいです。

 

(もっとも何らかの恐怖症があって、人前に出られない、家から出られない、教会に通えないというような状況であるのでしたら、話は別です。私も若い頃にそういう時期があり、ずいぶん大変な思いをしたからわかります。多くの場合、セラピーで解決できる問題ではないので、聖霊様の積極的な介入が不可欠ですが、聖霊様の積極的な介入の前提として、いわゆる悪霊の追い出しに取り組まなければならないケースもあります。

悪霊の追い出しについては多種多様なことを経験し、見聞きしましたが、現時点の認識としては、「霊とまことによる礼拝」に真剣に取り組むことにより、悪霊が逃げ出すことがあるため、それを当てにするのがよいという認識を持っています。悪霊の追い出しに取り組んでいる教会に在籍していない場合は、自室で当ブログで紹介したベテルミュージックのYoutube動画を活用して、真剣な賛美礼拝としてこれに取り組むと、悪霊がいづらくなり、しまいには出て行くことが期待できます。その代わり、本気中の本気で、心の底から、霊とまことの礼拝に取り組む必要があります。要は、動画の中の賛美リードに従い、動画の中のみなさんと一体化して歌えばいいわけですが。

悪霊の追い出しは、多種多様な経験をしたことをベースに言えば、必ず、教会の中で受けるべきです。教会の外で、独立系のミニスターなどにやってもらうと、後から面倒になります。教会からはぐれた羊になる可能性が大きいです。ということから、自室でYoutube動画を活用したスポンテニアス・ワーシップに取り組む方が得策です。

私は、多くの教会において、牧師先生が信徒の悪霊の追い出しに取り組むことを希望しています。しかし、そういう状況にありません。悪霊の課題を持っている信徒は、セカンドベストとして自室で「霊とまことの礼拝」をガンガン行う。自分専用の賛美チームがいるわけではないので、便利なYoutube動画を使い、ジェン・ジョンソンのような優れた賛美リードのスポンテニアス・ワーシップにより、主の臨在を毎回経験する。主の臨在により悪霊がいられなくなり、逃げて行く。逃げて行った後に聖霊様が満ちる。あとは聖霊様が問題解決に当たる。このような順序で問題が解消していくことを想定しています。

ベストオブベストは、教会において主の臨在が現れる賛美礼拝が毎週日曜日に持たれ、教会として悪霊の追い出しに取り組んでいるという状況です。)

 

 

■信徒はみことばにより聖書にひも付けられる

 

賛美礼拝は必ず、牧師先生による説教(礼拝メッセージ)によって補完されるべきです。賛美礼拝で聖霊様の注ぎが豊かにあり、主の臨在が強く現れて、みんなが天国にいるかのような状況を味わっているとしても、説教の時間になったら、クールな頭を持った牧師先生が現れて、冷徹な聖書理解による冷徹なみことばの解き明かしを行う。これは大変に重要なことだと思います。

 

賛美礼拝は五感と内住する聖霊様とリンクした自分の霊によって受け止める、優れて感覚的なものです。この感覚的なものだけで終始していると、みことばの足場がぐらつきます。

 

感覚的な賛美礼拝100%で過ごしているクリスチャンがいるとすれば、そしてその人が聖書を読まないとすれば、それは大変に危ないです。限りなく「スピリチュアル」に近い状況になるでしょう。スピリチュアル→非聖書的→反キリスト→サタンという図式があります。

そこをぐっと聖書のみことばに踏み止まらせるために、教育を受けた牧師先生による、聖書のみことばに根ざした説教は不可欠なのです。

 

説教も望むべくは、社会問題を論じるというよりも、人生論を論じるというよりも、聖書のキモとなる聖句からできるだけ多くの霊的な命の水を汲み出したものであって欲しいと、一信徒として思います(^o^)。

 

 

Photo courtesy of sparty lea