前回でヒトラーと美術にまつわる映画を4本、①『ミケランジェロの暗号』、②『黄金のアデーレ 名画の帰還』、③『ミケランジェロ・プロジェクト』、④『アドルフの画集』のコメントを掲載しました。敗戦記念日8月15日もリオオリンピックの「がんばれニッポン」の応援と熱狂とともに過ぎました。が、残念乍ら戦争に関連した映画のTV放映は、原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」唯一でしたーネ。以前は今村昌平監督の『黒い雨』や野坂昭如原作の『火垂るの墓』や山田典吾監督の 『はだしのゲン』などの映画やアニメがよく放送されていたのですがーね。原爆投下の映画放映も尚更のごとく、皆無でした。それ故に私は、DVD特選映画<ナチズムとホロコースト>の続編part2を急いで掲載することにしました。確実に「何か?」・・・、日本人の戦争意識が変わってしまった…と感じました。そんなことゆえに、広島の原爆に関連した是枝裕和監督の映画『いしぶみ』と、DVD『夕凪の街 桜の国』(2007年公開、佐々部清監督)を敢えて鑑賞しました。その内に、DVD特選映画<戦争映画と日本人>を載せたいですーね。
私は『アドルフの画集』の中で一つの疑問を投げておきました。独裁者になる前の青年アドルフ・ヒトラーが政治活動にのめりこんでいく過程で、少なくても映画では青年アドルフは、さほどの感情的反ユダヤ主義者ではなかったーナ。が、それが次第に大衆の前でユダヤ人の虐殺を絶叫するファナティックな演説をするようになり、ユダヤ人虐殺支持までドイツ国民を誘導し、熱狂的な支持を得るまで世論操作するー。そこで、何故?一介の退役軍人が、国家社会主義ドイツ労働者党で頭角を現し、ドイツ国民から支持されるようになったのか?或は、どうしてドイツ人は、ヒトラーを「ハイル ヒトラー」と讃え?、どうして平凡な国民が生身の生きてい女や子供さえ、ユダヤ人というだけで射殺し、事務的にガス室へ送り毒殺するのか、黙認することはナチズムを支持した事と同じです。脚本家&監督のメノ・メイエスは、その回答を括弧の中にいれたままで、映画の中では、その疑問に解答を与えていませんでした・・・。ナチズムを了解するには、恐らく、その時代のドイツの雰囲気に投げこまれないと、わからないのだろうーと、私は問いの難解さにお茶を濁して書きました。しかし、ナチズムを体験したドイツ人自身ももまた同じ問いと疑問と保留を持ち、映画の中で模索していた…筈です。
何故にドイツ人とドイツ国民は、ヒトラー独裁政権を支持し誕生させたのか?また、生身の生きているユダヤ人を事務的に虐殺したのか・・・?その時代にヒトラーを政治の表舞台に登場させ政治の力学は何なのかー、ドイツの政治・経済史をまずは見てみます。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による権力掌握(Machtergreifungマハトエアグライフング)の成立過程に関しては、アカデミックな解答が既に定説があります。権力掌握のまず端緒は、1919年の第一次世界大戦終結の戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア等の三国協商)に対して、敗戦国ドイツ、オーストラリア(三国同盟)は、ベルサイユ条約によってドイツは1320億マルクの賠償金の支払い義務を初め、すべての海外植民地と権益と侵略領土を放棄すること、徴兵制を廃止して、陸軍と海軍の兵員を制限され、航空機・潜水艦の武装は禁止された…などの条約を批准しました。しかし、その世界戦争の終結の賠償は、ドイツ国民に大きな政治的不満をもたらしました。ヒトラーは、ドイツ国民の人気取りのために、それらを転覆することを掲げ、支持を得ました。更にナチ党の政治勢力を押し上げたのは、1929年のニューヨーク株式市場の暴落によるアメリカ経済の破綻「大恐慌」だった。アメリカでは1200万人の失業者を生み、ドイツでもまた600万人が失業、国民は経済的困窮に陥った。世界恐慌によってナチ党は、選挙においてドイツ議会の最大党へ議席を延ばした。1930年3月20日にドイツ社会民主党のヘルマン・ミュラー首相が辞職、ナチ党はこの年9月14日の選挙でさらに107議席を得て議会第2党となった。そして、 1933年1月30日にヒトラー内閣が成立、次第に警察国家への組織を固めていった。3月5日の選挙では、ナチ党は圧倒的な288議席を獲得、連立の「国家人民党」の52議席を合わせて、過半数を越えた。ナンカ、今の自民党と公明党が議会で連立する安倍政権のようですね…。ここから次々に「全権委任法法」と「議院運営規則改正」などの法案が議会に提出されて、大統領令を次々に発令して治安権力を掌握、言論を統制、国会を掌握、ヒトラーの独裁体制を確立した…。独裁体制は、議会制民主主義の中で生まれた…。歴史は繰り返されそうですーね。
それでは「ナチズムとホロコースト」に関連する映画を5本掲載します。主に、アウシュビッツのナチ党員の裁判に関するものです。
⑤「顔のないヒットラーたち」 (2014年公開、ジュリオ・リッチャレッリ 監督)・・・1945年11月20日~1946年10月1日に第二次世界大戦終結後において、ドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判、「ニュルンベルク裁判」が開かれた。「東京裁判」と共に勝戦国が敗戦国の戦争責任を問う軍事裁判です。特にナチズムとユダヤ人虐殺、ヒトラーとアウシュビッツの戦争責任は断罪されました…。ただ、アドルフ・ヒトラー総統や宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、SS長官のハインリヒ・ヒムラーらはすでに自殺、起訴は勿論不可能であったし、また、ナチ党最大の実力者マルティン・ボルマンも行方不明のまま欠席裁判(死刑判決)でした。ナチの残党は、アメリカの「脱ナチ化法」と政策によって、ドイツ占領基本指令1067号において、ナチ残党だけではなく、ナチズムの支持者全を公職から排し、政府の要職に就任するためにナチ党との関係を審査された。その結果、公務員の3分の1を解雇した。この辺りが、A級戦犯にあたるような内務省官僚や軍人が、戦後内閣総理大臣や国会議員になる日本の戦後政治とは違っているな…。
第2次世界大戦の終結から10年以上が経過した後、既にニュルンベルク国際軍事法廷でナチスの主要指導者たちは裁かれていました。が、暴力的な親衛隊(SS)に対する訴追は続いていたが、決め手となる証拠は集まらなかった。またドイツ国内では、過去の戦争犯罪に対して、ナチ党員の活動歴を隠す裁判官や検事が存在し、ナチズムを過去の忌まわしい出来事として訴追を望まない風潮もあった。ドイツ国民の感情もアウシュビッツ強制収容所の裁判に、軍人なんだから上官の命令に背けないだろう…、異常な戦時下で今更、過去の罪を問えない…などの世論もあった。映画は検察官のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)が、アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、非ナチ化法による公職追放に違反している教師を発見、前歴を暴いて、戦争裁判へ持ち込もうとした。 フランクフルト裁判の起訴の発端は、アウシュビッツ強制収容所からの一人の生還者が持ち帰った書類が証拠となり、それが起訴資料となった。
⑥「スベャリスト/自覚なき殺戮者」(1999年公開、エイアル・シヴァン監督)・・・アイヒマンは1941年11月に親衛隊中佐に昇進、1942年1月20日、「ヴァンゼー会議」に出席、ユダヤ人を絶滅収容所へ移送して絶滅させる「ユダヤ人問題の最終解決」政策決定に関与した。ゲシュタポ・ユダヤ人課課長としてヨーロッパ各地からユダヤ人をポーランドの絶滅収容所へ列車輸送する最高責任者となる。1942年3月6日と10月27日に行われた「ヴァンゼー会議」でアイヒマンは、議長を務めている。1942年3月から絶滅収容所への移送が始まったが、その移送プロジェクトの中枢にアイヒマンがいた。2年間で約500万人ものユダヤ人を貨物列車で運んだ。1944年3月にアイヒマンはハンガリーに派遣され、40万人ものユダヤ系ハンガリー人をガス室に送った。
元親衛隊(SS)中佐アドルフ・アイヒマンは、戦後、アメリカ軍によって逮捕されるが、偽名を使い、捕虜収容所から脱出した。ドイツ、イタリアなどを逃走し、1950年、親ナチだったファン・ペロン政権下のアルゼンチンに渡り、「リカルド・クレメント」の名前で逃亡生活を送った。終戦から15年後のこと、1960年にイスラエル諜報機関(モサド)によってブエノスアイレス市内で身柄を拘束され、イスラエルに連行される。1961年4月11日にイスラエル・エルサレムで裁判が始まった。「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」などの15の犯罪で起訴され、12月に有罪・死刑判決が下される。1962年5月に絞首刑になった。
この映画に関して、エイアル・シヴァン監督は、ハンナ・アーレントの著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』を参照して、既存の映像を編集・再構成したものである。ニュールンベルグ裁判以降に逃亡していた最大のナチ残党の裁判でした…。
➆「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」(2015年公開、ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督) ・・・1961年、エルサレムで開廷された
世紀の裁判「アイヒマン裁判」に対して、TVプロデューサーのミルトン・フルックマンは、この裁判を世界中にテレビ中継する企画を立てた。
この裁判撮影のスタッフには、アメリカの赤狩り(マッカーシズム)のブラックリストに挙げられ、10年以上もハリウッドから仕事を干されていドキュメンタリー撮影監督、レオ・フルヴィッツを登用した。フルヴィッツは、アイヒマンを残虐な殺人鬼ではなくて、普通の有能な事務官将校としての素顔を撮影した。裁判を通して、アイヒマンの淡々とした陳述は印象的でした。今回の映画は、世界37カ国で放映され、4ヶ月に渡る裁判の映像と、実在の人物をベースに、若手プロデューサー(ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と、撮影監督レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)の製作ドラマです。近近10月頃、レンタルショッの棚にも並ぶ予定ですから、是非ご鑑賞ください。
⑧『愛を読むひと」(2008年公開、スティーヴン・ダルドリー監督、ベルンハルト・シュリンク『朗読者』が原作。デヴットヘア脚本)・・・この映画は、15歳の少年マイケルが学校の帰り道で「しょう紅熱」のために体調を崩し、路上で嘔吐していた所を、路面電車の車掌をしていた21歳も年上のハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)と出会い、アパートで介抱される所から始まる。私はナチズムの映画であるばかりでなく、ラブストーリとしても名作だと思っています。浴槽の中で熟女の肉体に抱かれ、ハンナのためにベットの中で『オデュッセイア』、『犬を連れた奥さん』などの作品を朗読したり、一緒に地方の田舎にサイクリングをしたりした。彼はすっかり性の虜になってしまう。前半のストーリは、ひと夏の喜びに満ちた青い性の体験を描いたラブロマンスです。後半の映画では、ハンナと疎遠になった後、マイケルはハイデルベルク大学
法学部に入学し、ロール教授(ブルーノ・ガンツ)の ゼミ研究のために、ナチスの戦争裁判、アウシュビッツ裁判を傍聴することになる。ここからが、DVD特選映画「ナチズムとホロコースト」に関係する部分です。なんと、その被告席に、青春の忘れられない1ページになっていた甘酸っぱい記憶の女性、ハンナ・シュミッツハンナがアウシュヴィッツ強制収容所の女性看守の一人として告発されている姿を見つける。ハンナは、アウシュヴィッツ強制収容所の元囚人・イラーナマーサーの自伝的著書に、ハンナがクラクフ近郊の強制収容所の女性看守6人の一人として名前が挙げられていた。しかも、収容した囚人を「選別し」、アウシュヴィッツへ送致する「死の行進」の責任者として、つまり、選別した囚人がアウシュビッツへ送られれば、ガス室で殺されることを知って選別したー、「故意による殺人容疑」が問われ、更にまた、街が爆撃を受け、収容所の教会が全焼になった時、開錠すれば閉じ込められた300人の囚人が焼死することはなかったのに、開錠しなかったことによる、「故意による殺人容疑」が問われた…のであった。ロール教授は講座の初めに「社会は法によって動かされている。単にアウシュビッツで働いていたというだけでは罪にはならない。実際あそこで8000人が働いていたのだが、その内で有罪はたったの19人、殺人罪はたったの6人。明確な殺意を立証しなければならないからだ。それが法だ、問われるのは悪いことをしたかではなくて、法の基準を犯したかどうかだ・・・」と、学生に講義する。私は、戦争裁判を考えるうえでも必見の映画だと思っています。
公判でハンナは囚人の死を決定する「選別する」仕事の罪状を問われるとー、「私の仕事でしたから…」「私の仕事の選び方」が悪かったのですか…と、罪の意識も後悔もなく、ただ呆然と検事に反問する。また、次々と送り込まれる新しい囚人を受け入れるために、収容所は満杯になるから、既に収容されている囚人選別して「アウシュヴィッツに送るのはやむを得なかった・・・」と事務的であどけないほど普通の選択だったことを証言するのでした。ここに哲学者ハンナがいう「悪の凡庸さ」が表れていますーね。収容所の火災の時に何故開錠して非難させなかったのかーの質問に対して、「市街地の外に収容所を開錠して囚人を出すことはできなかった、だって仕事の責任を放棄するのだから…」と証言する。また、羞恥心から文盲を隠していたため、囚人30人の焼死も死の行進の選別も、すべてハンナの指図とされ、女性看守からも全責任と罪を着せられる。筆跡鑑定さえ断り、自分が作成した報告書の偽装も反論しなかった…。
結局判決は、ハンナ一人だけが無期懲役でした。この「愛を読むひと」が単にナチスの戦争裁判だけの映画に終わらず、私が初めにあげた「問い」・・・どうしてドイツ人は、ヒトラーを讃え?、私は、どうしてドイツ国民・ドイツ兵は、生身の生きているユダヤ人を事務的にガス室で毒殺し、虐殺するナチズムを支持し、実行したのか?・・・にこの映画のハンナ・シュミッツの証言が応えている気がしました。マックス・ウェーバーが第一次大戦の後に確立した官僚制社会の形式的合理性の問題なのかな…と思いました。ドイツの社会学者M・ウェーバー(1864年~1920年)は、近代の合理主義的社会・官僚制組織の特徴として、個人の人格・意思が組織目的の中に埋没する「官僚的合理性」にその答えの一端を分析した。私にはその答えが見えてきました。
マイケルは、ハンナの刑務所に本を朗読したテープを送り始める。ハンナは少しずつ所内で文字を学び、マイケルに手紙を出すようになる。20年後に仮出所が許され、マイケルへ身元引受人の電話がある。マイケルはそれを了解し、刑務所のハンナと面会する。しかしハンナは、出所の日に首をつって自殺してしまう。私はこの映画をこのコメントを書く気前にもう一度DVDを見ましたが、やはり「ナチズムとホロコースト」の名作でした。
⑨「ハンナアレント」(2012年公開、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)・・・1960年、ナチス親衛隊でユダヤ人の強制収容所移送の責任者だったアドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報(ちょうほう)部に逮捕される。ニューヨークで暮らすドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ(バルバラ・スコヴァ)は、アイヒマン裁判を傍聴記事を、『イェルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』として1963年に雑誌『ザ・ニュー
ヨーカー』に連載した。彼の死刑が執行されるまでを記した裁判記録は、ドイツ国内のユダヤ人内でも大きな波紋を呼んだ…。 映画は、彼女のこの裁判記録を廻る自伝的映画です。この映画で、ハンナはアイヒマンをユダヤ人虐殺の極悪人被告として描くのではなくて、むしろ彼の姿と発言に対して、アイヒマンをごく普通の「小心者」の将校、合理的事務的処理をする単なる役人に過ぎなかったとさえ描いている。だから却って、ユダヤ人ゲットーの評議会指導者に対してさえもホロコーストへの責任を負うものと指摘した結果、ユダヤ人社会からも仲間を裏切る行為として非難された。
さてまた、DVD特選映画の導入部が長くなりました。8月下旬の特選映画をアップロードします。今回5本を映画館で観賞、今月8月は、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ監督)、『或る終焉』(ミシェル・フランコ監督)、『ロスト・バケーション』(ジャウマ・コレット=セラ監督)、『ターザン:REBORN』(デビッド・イェーツ監督)、『ニュースの真相』(ジェームズ・バンダービルト監督)、『秘密』(大友啓史監督)、『X-MEN:アポカリプス 』(ブライアン・シンガー監督)、『あなた、その川を渡らないで』(2014公開、チン・モヨン監督)、『いしぶみ』(是枝裕和監督)、『ストリート・オーケストラ』(セルジオ・マシャード監督)、『ブルックリン』(ジョン・クローリー監督)・・・、通算で12本を観賞しました。その中で選んだ8月下旬の特選映画1本は、『ストリート・オーケストラ』でした。今回も横浜市中区にある映画館「ジャック&ベティ―」(横浜市中区若葉町3-51。TEL.045-243-9800)http://www.jackandbetty.net/ で4本を仕事の帰りに見てしまいました。メジャーな映画館やTOHO系の映画館では上映されていない作品が並んでるので、私はすっかりこの映画館のファンになってしまいました…。
98歳のチョ・ビョンマンと89歳のカン・ゲヨル夫婦は、若い夫婦のように買い物で手をつないで歩き、春の花を髪に飾り合い、冬は落ち葉をじゃれ乍ら投げ合い、雪の降った冬には雪の塊をぶつけ合いう。まるで恋人同士のように仲睦まじく老後を川のほとりで過ごしている。淡々とした縁側の喉かな生活を描いた1本目は、結婚76年目にして仲むつまじく暮らす老夫婦、『あなた、その川を渡らないで』(2014公開、チン・モヨン監督)でした。
ところが、ある日、妻は夫の死を迎える。自然の摂理でした。咳を聞きながら「天国でも着られるように」と夫の服をたき火にくべる。
煙は妻の願い通りに天に昇り、夫を見守った。そして夫が亡くなった後でもまた、この冬の肌着はねー、と次々、夫の服を焚火に燃やしていく・・・。どうしたら人生を締めくくるかー、どうしたら最愛の伴侶の死を迎えるかーは、高齢化社会で無くても、人間にとって大きな問題です。この映画を見終わった後で誰しも、こんな老夫婦のように老後と死を迎えたいと思いますーかね。
国連の2016年版「世界幸福度報告書」の発表だと、幸福度ランキングの1位は、デンママークで、2位はスイス、アイスランド、ノルウェー、フィンランドと続く。ちなみに日本は53位、韓国57位、中国83位・・・。アジアの後進資本主義工業国は、金持ちと貧乏人の大きな格差があり、お金を稼ぎ物を買い漁り、生活を豊かにすることに汲々としているようです。そう見ると、この鄙びた田舎家が、世界で一番幸福な村の一軒家のように思えてきます。今の日本でも、福祉国家実現の代わりに「一億総活躍社会」のスローガンと共に、死ぬまであくせくと働け!という子供を持つ若い夫婦や高齢者に鞭打つ社会は、残酷ですーネ。日本では、もはや老後をのんびりと「年金」で生きることもできないようですーね。そんな日本を痛烈に批判する映画に思えてきました…!!!
1945年7月25日、第33代トルーマン大統領が原爆投下を承認、スパーツ陸軍戦略航空軍司令官(戦略航空隊総指揮官)は原爆投下を指令した。気象観測機B-29「ストレートフラッシュ号」が、観測用のラジオゾンデを吊るした落下傘を三つ降下。「エノラ・ゲイ号」は、広島市街上空の天候を「目視」可能と確認、原爆投下を広島と決定する。佐々部清監督の『夕凪の街…』(2007年公開、)のタイトルの意味がよく分からなかったが、この原爆投下時の空を表していたのでセスーね。投下目標 を広島市中央を流れる太田川の相生橋に合わせ、1945年8月6日、8時15分17秒、原爆「リトルボーイ」が投下された。爆心地の広
島市細工町29-2の島病院(現島外科内科)の南西側の上空約600
メートルで炸裂した。500m圏内に閃光と爆風が襲った。島病院の建物
は一瞬で完全に消え、院内の約80名の職員と入院患者全員が即死した。
勿論、映画「いしぶみ」の舞台となった旧制広島県立広島第二中学校1年生は投下当時、爆心地600メートルの場所、現在平和記念公園が
ある中島新町、新大橋周辺の河岸に生徒たちは集まって、建物解体作業中だった。そこにいた旧制広島県立広島第二中学校1年生321名
全員が死亡する・・・ここで悲劇が起こった。
1969年10月9日に広島テレビの制作で、この『碑』(企画:薄田純一郎、構成:松山善三、演出:杉原萌)のタイトルで、日本テレビほか全国23局で放送された。広島市出身の女優・杉村春子が、爆死した生
徒の遺影写真の中で、遺族の証言や生徒の最期を語る朗読と生徒の
映像が流れた。
1969年版のリメイクとして、再び広島テレビの制作により、2015年8月1日に、『戦後70年特別番組 いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜』のタイトルで、日本テレビ系列29局ネットで再び放送されました。
2本目の『いしぶみ』(是枝裕和監督)は、この『戦後70年特別番組』を
劇場用に再編集した作品でした。最後に広島出身の朗読者・綾瀬は
るかは、最後に、平和記念公園前に置かれた「碑」に立ち寄ってください、と語りかけます。私もまだ広島の原爆ドームも平和祈念資料館も訪れたことがないのでー、ぜひぜひ近近訪ねたいです。そんな広島に関心を寄せる映画でした。小・中学校では広島・長崎の社会見学、高校では沖縄の社会見学をさせたいですーね。それが義務教育課程のまっとうな「平和教育」ではないですか…ネ。
音楽の才能では神童と言われたバイオリニストのラエルチ(ラザロ・ハーモス)は、音楽で身を立てたるためブラジルのサンパウロ交響楽団のオーデションに応募するが、本番には弱いのか、最終審査に落ちてしまいう。3本目は、家賃さえ督促状が届く生活難になり、スラム街の子供たちが集まる学校でバイオリンを教え、スラムの暴力と麻薬と貧困が瀰漫している街にクラッシックが鳴り響く音楽映画『ストリート・
オーケストラ』(セルジオ・マシャード監督)でした。
ただ、ブラジルのスラムに住む少年少女は、クラッシックを弾くどころか、家庭内での親との確執や、生存競争の激しい過酷なスラムの日常を生きのに精一杯の生活であった。それでも尚、彼が目にしたのは最後に、音楽を心の安らぎにしている少年の純粋な心であった…。
主演のバイオリニスト・ラエルチ役のラザロ・ハーモスはブラジルでは人気の俳優のようです。暴力と窃盗と麻薬のスラムにも明るい未来はある…ということをこの映画は奏でているのかなー。
音楽映画で私が感動した一本は、パガニーニの伝記的映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト (2013年公開、バーナード・ロー
ズ監督)以来の感動作でした。インドのムンバイとブラジル・サンパウロのファヴェーラとの違いはあるけれども、私はこのスラム街が舞台になっている『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年公開、ダニー・ボイル監督)と、二作の映画を混ぜ合わせたような作品でした…。
4本目は、アイルランドの片田舎からアメリカのニューヨークへ渡った移民の娘・エイリシュ(シアーシャ・ローナン)が、ブルックリンに住
み、デパートで売り子をしながら、大学で勉強して経理と簿記を習い、アメリカでイタリア移民の男と恋に陥る青春ラブロマンス映画『ブルックリン』(ジョン・クローリー監督)でした。
イタリア移民の男と、アイルランド移民の女がニューヨークで出会い、恋に落ちる、という甘いラブロマンスなのだが、いかにも人種のるつぼのアメリカらしい映画でした。片田舎で一生をその土地で終わる『あなた、その川を渡らないで』と、生まれ故郷を出て大都会で暮らすこの映画は、対をなすような映画と思いました。
(尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…)