7月上旬特選映画【11】★映画のMIKATA「トランセンデンス」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。





7月上旬の特選映画をアップロードします。今月に映画館で観賞した特選映画は6本でした。特選映画にコンピュータ技術の未來を描いた「トランセンデンス」を選びました。

1

1本目は、これまで誰もが知っているアニメ『眠れる森の美女』の通念を破壊した『マレフィセント』(ロバート・ストロンバーグ監督)でした。アニメ嫌いの私も、少しコメントを書きたくなった近々のディズニー映画でした。このアニメでは、「邪悪なもの」が主人公で、悪役の妖精«マレフィセント≫をアンジェリーナ・ジョリーが演じる。確かにディズニーアニメなのだが、ファンタジィスティックでフレンドリーで、純粋無垢な「善なるもの」が子供たちの友達ではなくて、ダークイメージのマレフィセントが、オーロラ姫の永遠の悲劇の呪いをかける「邪悪な者」であると同時に、永遠の眠りの謎をも解き明かすーという、既存のティズニーストーリの常識をひっくり返す…物語なのです。


人間心理に住まう「表」と「裏」、心の奥に潜む「善なるもの」と「邪悪なるもの」との共存、愛が裏切られたときに生じる人の心の憎しみと怨念、愛を失ったときに生じる失意と憎悪、しかしその「憎しみ」も「憎悪」もまた人の心の中で「愛」に反転…する人間ドラマを見事にアンジェリーナ・ジョリーが演じた、と言えました。これは、ディズニー映画における«コペルニクス的転回»ですねー。


前作『アナと雪の女王』(クリス・バック監督、脚本家ジェニファー・リー)は、今現在もファンタジックな音楽と、アンデルセンの童話「雪の女王」のキャラクターをディズニー風に脚色した結果、観客はこのアニメに魅せられ、依然、爆発的なヒットを続けている。2014年3月14日に日本で公開され、6月2日には日本での興行収入が212億円を突破、観客動員数累計は1601万人を超え、『ハリー・ポッターと賢者の石』を上回って日本歴代3位の記録的な大ヒットとなっている。これまでのディズニーアニメ路線は、明らかにヒット戦略を変えていると言えましょう…。

2

2本目は、反テクノロジー過激派によって殺された科学者の夫・ウィル(ジョニー・デップ)の頭脳と意識を信号化して人工知能PINNにアップロードする、電子科学開発の究極の進化を描いた『トランセンデンス』(クリストファー・ノーラン製作総指揮監督、ウォーリー・フィスター監督)でした。冒頭、コンピュータの人工知能がどうしたら人間の「心」に近づけるかの問題提起を、科学者・ウィルが聴衆を相手に講演するー。人工知能が人間の意識に近づくためにはまず、人間にとって「意識」とは何かを解明せずに意識を記号化できないー、翻って人間が「人間らしい意識」を持つ核心の≪魂≫とは何か?を解き明かさない限り人工知能は、人の意識に近づけない…と、哲学的な問いを投げかけるシーンがありました。私は、恰もフッサールの「純粋意識」の迷路にでも突き落とされる錯覚を覚えました


この映画を面白くしているのは、その難解な哲学的なアポリアを、サ

ルの脳の記号化によって飛び越えてしまうことだろうーね。。夫ウィルの「頭脳」と融合した人工知能PINNは、コンビュータの超高速の演算処理能力を稼働させ、イーターネットに接続することで、世界と地球のありとあらゆる情報と知識を貪欲に吸収し始め、NATOも共産圏もアジアもありとあらゆる軍事機密、ウォール街の金融取引も、政治も経済も、人間かこれまで獲得し蓄積した全データを手中に収めて、ゴーストタウンになった街の地下に築いた巨大な人工知能ドームから、地球と世界を操作しようとする。妻エヴリン(レベッカ・ホール)は、自分たちの開発していた人工知能PINNが、人間の知識と技術と叡智を超越する進化をー、人類がこれまで想像していた世界像を飛躍して、途方もないレベルにまで達してしまう記号体系だけで構築された「知能」を恐れ始める…。

映画の中で人工頭脳は繰りかえし、人間はこれまでの人類の想像を超える技術を恐れる…と。この映画のように、人口頭脳が開発した医療技術が、細胞レベルの人体にメスを入れて難病を治療し、細胞の人口増殖によって生まれつき身体が不具の障害者の手足を再生してしまい、ウィルスと同じナノレベルのマイクロマシンを雨とともに世界の大地に降らせ、それを拡散散布することで土と水と生命の汚染まで浄化してしまうー、その人工頭脳は確かに、人間科学の想像を超える技術ですーね。しかしもしも仮に、人工頭脳にこれが実現できるならば、まさにわたくし達の求めている科学技術の「理想」の実現と真実ではないだろうかーな、と私なんかは思います。


かつての共同研究者のマックスは、ウィルの「魂」と「頭脳」と融合した人工知能PINNを脅威と感じ、破壊しようとする。彼は、人工知能と人間の「頭脳と意識」の違いをこう説明するー。人間の頭脳は、常に迷い、矛盾を抱えているものだーという。 確かに確かに…、その通りだ。しばし私を深い思索に導く映画でした…。私はこの作品を特選映画に選びました。

3
3本目は、日本人作家・桜坂洋原作のSFノベルを原作に、トム・クルーズが主演、近未来の地球を舞台に侵略者「ギタイ」との激しい戦闘を描いた『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』(ダグ・ライマン監督)でした。


過去の自分と現在の時間を何度も繰り返し反復運動する、SFジャンルの中では「ループもの」と呼ばれるストーリ類型でした。だから、この作品もさほど新規なSFストーリではない。「ギタイ」の中でも特殊な侵略者との戦いで彼等の血を浴びて、死と再生の時間を反復する戦闘員がウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)であり、タイムループの反復世界に呪縛され、戦闘と死を繰り返すもう一人の女性戦闘員がリタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)であった。やや皮肉に言えば、この映画の特色は、トム・クルーズとミリー・ブラントの二人の人気俳優が主演という点だけですかーね。

4
4本目は、女流直木賞作家・桜庭一樹による小説が原作で、出身郷土の北海道を舞台とした熊切和嘉監督(宇治田隆史脚本 )の作品でした。


この監督に関しては、既にこの映画ブログの、佐藤泰志の原作小説で、北海道函館を舞台にした『そこのみにて光輝く』 (呉美保(お・みぽ)監督)でも触れました、『海炭市叙景』(2010年)や瀬戸内寂聴原作の『夏の終り』(2013年)の監督でもあります。


桜庭一樹のこの作品「私の男」は、映画を観る前に私は既に読んでいたのですが、読書好きな私でも、時間系列の錯綜した大変分かり難い小説でした。今改めて映画を見ると、活字から受けた印象とはだいぶ違うのではないかとも思いました。映画の初めのシーンは、瓦礫と死体が累々と重なり転がる戦争後か、大震災後の海岸のような風景が続き、その間を行く当てもなく彷徨している幼い少女と、その少女に親戚のように声をかける男から始まりました。私はこの荒廃した情景を、福島・宮城などを襲った東北大震災と大津波の被災地なのかなーと錯覚しました。事実は、1993年(平成5年)7月12日に北海道の奥尻島を襲ったマグニチュード7.8、死者200人を超える「北海道南西沖地震」を舞台にしているようです。


海岸を呆然と歩いていた孤児の少女が9歳のときの竹中花(幼児まで山田望叶と二階堂ふみのダブルキャスト)で、少女に声をかけ、家族として引き取った親戚の男が腐野淳悟(浅野忠信)であった。女へと成熟し始める少女と禁断の肉体相姦を続ける歪んだ関係を続ける男の欲望が、この小説の衝撃的なテーマでした。映画でも、中学・高校の時から、OLとなって婚約する年齢まで、このタブーの近親相姦を依然続けるストーリが主軸でした。


精神分析学のフメイドなどは、トーテムポールとか顔に入れた刺青模様は、同じ部族同士の近親相姦を回避するための文化装置であり、原始社会でも近親間のセックスは子孫の存続と保存のためにタブー視されていたという。この小説は、現代社会でも、原始的な未開民族でもタブー視されていた近親相姦を正面から扱った意欲的な小説と言えます。


しかし、私の感じた映画の違和感は何だろうかと考えてー、漸く気が付きました。まず、震災という視点が映像では強調され過ぎていますー。次に、わたくしには、「私の男」というよりも、映画では淳悟に振り回される女、男の与える性的快楽に束縛され溺れる竹中花の従属的関係からすれば、むしろ«私の女»という視点で脚色されているように見えました。

5
5本目も近未来社会を描いた映画『ダイバージェント』(ニール・バーガー監督)でした。高い塀で囲まれた中に住む近未来の市民は、16歳で受ける「儀式」により5つの共同体グループ「ファクション」、«無欲≫、«平和≫、«高潔≫、«博学≫、«勇敢≫に分類されました。この5つのグループに属さない市民が「ダイバージェント」と呼ばれ、危険な異端者として政府から抹殺されました。


近未来社会を映画化した作品、特にサバイバル映画は数々あります

けど、最近作では、ここでとりあげた『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』もそうですが、『ハンガー・ゲーム』や』『LOOPER ルーパー』や『スノーピアサー』などが印象的ですね。この映画は、世界が崩壊してから100年後の未来社会という設定です。アメリカ映画には、こんな近未来の滅亡パターンの映画が多いですーね。アメリカ市民の皆さんは、やはり自分たちの国家の未来に暗澹としたイメージを持っているのだろうかーね。私はいつもの危機感に満ちた近未来ストーリ、やや斬新さに欠ける娯楽映画だなーと見ました。

6

6本目は、編集者の小山田みのり(榮倉奈々)を主人公に、ハワイで生活する色々な男女と出会う『私のハワイの歩き方』(前田弘二監督)でした。いややや、色々な日本人がいるなーと感嘆しました。金満家との結婚を夢見る吉村茜(高梨臨)、ハワイで「お茶漬け」レストランを経営する実業家の鎌田(瀬戸康史)、石油プラントなどのパイプラインを持つ大富豪の息子・阿部知哉(加瀬亮)ー、夜な夜なあちこちで開かれるパーティーで人と出会い、人との関わりの輪を広げる 小山田みのりを眺めていると、きっとこんな新しい世代の新しい日本人があちこちにたくさんいそうなリゾート地・ハワイだなーと思いました。


映画を見た後の一番の感想は、榮倉奈々っていい女だなー、恋人にしたいなーと思いました。舞台となった開放的で明るく賑やかなハワイ、光あふれるオアフ島を彼女が歩く姿を見て、今すぐにでもハワイに行きたくなりました。いまだに一度もハワイを体験したことのない私は、若い女性がハワイに憧れるのがわかる気がしました。観光映画というよりも、恋愛コメディーかな…、ともかくも心が軽くなるストレス解消の映画でしたー。私は、『トランセンデンス』の次に特選映画に押したい作品でした…。