5月上旬特選映画【8】★映画のMIKATA「ブリズナーズ」★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

長いGWも終わりました。私は、先日早朝の首都圏を襲った伊豆沖震源地の震度5の大地震に驚きました。いよいよ福島、茨城、千葉から駿河湾に震源地が移動したかー、何かドカーンと再び大揺れが襲いそうだなー、と脳裏にやや暗い予感を持ってます。年内いやもっと早く、夏ごろに関東を大きな震れが襲うかな…と怯えています。値上げした消費税を軍事費や企業利益の支援に回すよりも、自然災害や社会保障や福祉予算に充当することのほうが先決ですよ、と安倍政権に進言したいです!先日放映の、NHKスペシャルでの「女たちの貧困」を扱った特集も気になりました。漫画やパソコン喫茶を生活の本拠として

細々と安いアルバイトで生活する女性の貧困をもっと政治は真剣に対策を考えるべきなのにな…。選挙のための政党と政治家の人気取りの宣伝と政策はもうたくさんですよ、安倍総理!


5月上旬の特選映画をアップロードします。今月に映画館で観賞した特選映画は3本でした。どの作品も特選映画にしてもよい秀作でした。その中でも「ブリズナーズ」は面白かったです。


1

佐藤泰志の原作小説を基に、仕事を辞めて毎日ぶらぶらとパチンコ屋で遊び、酒を飲み自堕落に何もせずに生活している、元石材切り出し現場の爆破職人・達夫(綾野剛)と、パチンコ屋で知り合った執行猶予中の青年・拓児(菅田将暉)と、その姉ー、愛人との泥沼の不倫、スナックで売春をしながら一家の生計を支えている千夏(池脇千鶴)…が絡み合い物語は進む。1本目は、北海道函館を舞台に男女のどろどろした私小説的な「愛」と挫折を描いた『そこのみにて光輝く』 (呉美保(お・みぽ)監督)でした。華々しく甘いラブストーリとは違う、苦々しい胃液を吐き出すような、なにか鈍痛のともなう「祈り」のラブストーリでした。




原作者の佐藤泰志は、1970年代に何度も芥川賞候補に登場しながら、生前は作家としてスポットライトを浴びることなく、1990年に函館の植木畑で自殺した不遇の作家です。にもかかわらず死後17年経って「佐藤泰志作品集」が発刊された異色の小説家です。函館西高校時代の同期生やファンなどによって、彼の作品「海炭市叙景」は、映画化の運動が盛り上がり、2009年に映画製作実行委員会が結成された。そして、「海炭市叙景」は、北海道帯広出身の熊切和嘉監督が映画化している。この作品も映画としては大変地味な作品でした。映画そのものは注目を浴びましたー。


この映画の注目点は、原作者の雰囲気、つまり、70年代の時代閉塞感と、地方都市独特の経済的低迷感、その希望のない「青春」の絶望的没落感を、俳優たちがどのように上手に演じるかー、救いのない影と、そこから救われたいともがく生命の光を、どのように表現するかにかかてますー。主役の綾野剛と、ヒロインの千夏役・池脇千鶴の演技をよく見ましょう。是非皆さんの感想を聞きたいですー。私はいい演技、つまり、主人公の雰囲気と人柄を良く演じていると思いました。


『そこのみにて光輝く』主役の綾野剛は、 インタビューで、(毎晩お酒を飲んでいたそうですね)という質問に、…メイクをしないのもひげも同じ理由ですが、健康的な顔ではできない役ですから。酒焼けしている顔って一発でわかるし、飲んでいないと表情に出ない。…と、達夫の役作りの苦労を明かしています。


映画のラストシーンで突然映像が中断したような「幕」引きが、私はやや気になりました。インタヴューで、「深い余韻を残すラストも格別ですね。」という質問に対して綾野剛は、…実はあの後も芝居は続いているんですが、編集でカットされていました。でも大切なのは、ちゃんと地に足を着けてそこにとどまること。最後のシーンから、二人の本当のラブストーリーが始まる気がします。…と、撮影の後日譚を話してます。


もう一つ敷衍して書いておきます。私は映画を見るときに、映像にも監督の表現と、原作者・脚本家のイデアをいつも意識していますー。呉美保監督の『そこのみにて光り輝く』は、監督と脚本家の裏の立脚点が読めなかったことも確かです。でも、難解だけれでも退屈はしませんでした・・・。


脱線しますが、太宰治が作家というのはーと、あるたとえ話をしているそうです。私は井上ひさしの文学論として記憶してます。難破船から泳いでようやく陸にたどり着いた水夫が、灯台へ助けを求めて窓の中をのぞいたら、一家団羅を囲んで家族が楽しそうに食事をしていたー。水夫はその光景を見て。この和やかな家庭の安らぎの一時を、もしも私が中に駈け込んだら壊されてしまうだろうー。水夫はそう考えると、助けを求めずに窓の近くで死んでいたそうです。太宰は、そこから作家が書かなければ、自分の命よりも優しさや思いやりを優先した水夫の心は、誰も知らないまま忘れ去れてしまう。そして、それを書くことが、それこそ作家の創作理由だと・・・言う。私は、この「作家」の使命と創作理由をそのまま、原作者ばかりでなくて映画監督にも置き換えたいです・・・。作家が書かねばー、映画で表現されなければー、誰一人も達夫と千夏の真意を知らないまま消えてしまう。だから人間のその時の「心」のあり方を・・・作家と映画監督は残すのです。


2

家族団らんで過ごす感謝祭の日に6歳と7歳の幼い少女が、両親がちょっと目を離したすきに2人が失踪する。近隣に事件当時路上に停車していたキャンピングカーに乗っていた不審者(ポール・ダノ)が容疑者として逮捕される。しかし、証拠不十分で釈放された。が、父親のケラー・ドーバー(ヒュー・ジャックマン)は、彼を犯人であると確信し、不審者を拘束して拷問をし、娘の幽閉先を白状させようと責める。それに対して、この事件の担当刑事・ロッキー刑事(ジェイク·ギレンホール)は、もう一人の怪しい容疑者を追及していた。一人の嫌疑者を逮捕して尋問している最中に、彼は自殺する。ロッキー刑事は、容疑者の残した謎の手がかりを解いてゆく。映画はこの二人の「キーパーソン」の信念と衝突と葛藤に沿ってストーリが進む。


2本目は、子供の生存を信じて、誘拐の容疑者を拷問する父親の「狂気」と、謎めいた断片的な言葉しか話さない精薄児の「存在の謎」と、二人のやり取りと

駆け引きが、この作品を単にサスペンスで終わらせていない、濃厚なサイコスリラー映画にしている『ブリズナーズ』 (ドゥニ・ビルヌーブ監督)でした。


題名が「ブリズナーズ」なので、刑務所の囚人が脱獄する、つまり、囚人が主人公かなとに予見していましたが、全く違う内容でした。映画の冒頭で親子が狩猟をするシーンがありました。息子が猟銃を構え鹿を狙うチャンスを待っている瞬間に、父は息子に「危機に直面した時の人生の心構え」を説き、どんな難局にも冷静に対処できるようにあらゆる危機に準備せよーと聖書の中の祈りの「祈祷文」を唱え、教訓します。そのシーンの後に、子供の誘拐事件が突然に父親・ケラー・ドーバーの身に起きる。私は、一体全体あの父の教訓は何のためなのか、何の意味があったのかー、と観賞後に疑問を引きずっていました。総論としては、英語とキリスト教と聖書を基盤とした文化圏の人間しかわからない『隠語』がたくさん伏在していたようです。


何か解決のヒントがないか色々なHPをめくってたいたら素晴らしい解答がありました。下記サイトを参考にさせていただきました…。http://matome.naver.jp/odai/2138174331084413501


主人公の名前「KELLER」は、「地下室」「倉庫」という意味を持っていて、主人公が地下貯蔵庫(keller)に万一の事態に備えて食料や装備と銃を確保して置く。彼は信心深いクリスチャンであり、また、備える人・PREPPERS である。恐らくアメリカには「危機に対処する心構え」を宗教的信条にするキリスト教集団がいるのだろうー。


更に、映画の中で二人の全く異なる人格が衝突します。誘拐された娘を発見すために不合理な信念で容疑者を拘束幽閉する、理性を失い盲目の暴走さえも厭わない囚われ人の父親と、証拠と推理で理性的に捜査をする刑事との対立の「人格」が、この映画のメインテーマになってます。


独自の捜査方法で犯人を捕らえようとするロッキー刑事の指には、直角定規とコンパスが描かれたフリーメーソンの指輪をはめられている…。映画では、娘を救うという考えにとらわれて容疑者を誘拐までして、残酷に拷問している父親ケラー・ドーバーと、、冷静な判断力と地道な努力で難事件を解決に導くロッキー刑事は対照的に描かれています。映画「プリーズナーズ」の発するメッセージは、危機の瞬間が迫って来たアメリカ社会の諸問題を解決することができるのは、アメリカ政府でもなく、盲目のクリスチャンやPREPPERSでもなく、「フリーメーソン」(イルミナティ)だけである…、これがハリウッドが伝えたいメッセージでなかったのかな…。理性はいつも人間の中で「不合理」なものを含んでいるものです。近代的理性は、欲望と希望と肉体を抽象化する。だから、「不合理」故に我信ずるのでしょう…。


3

妻の不倫を疑い殴り、誤って殺してしまった殺人犯が刑務所から脱獄して、離婚して近隣とも疎遠で暮らすシングルマザーのアデル(ケイト・ウィンスレット)とその13歳の一人息子・ヘンリー(ガトリン・グリフィス)の自宅に追及の手から逃れるために庇護を求めるー。逃亡犯のフランク(ジョシュ・ブローリン)を警察から匿ううちに、アデルはこの脱獄犯で殺人者に惹かれていく。そして、三人でカナダへ逃亡することを決断する。3本目は、車で家を去る日まで、恐怖から愛へ変わっていく濃密な五日間日を描いた、ある種のラブストーリーともいえる『とらわれて夏』 (ジェイソン・ライトマン監督)でした。


私が少し拘泥したいのは、母と離婚したヘンリーの父のもとに、これからカナダへ逃避するという日の朝に、どうしてわざわざ手紙を書いて、父の郵便受けまで届けに行ったのかなーと、子供心の突然の「心移り」「心残り」が不可思議でした。図書館で出会った転校生の少女は、ヘンリーを残して脱獄犯と母親は二人でカナダへに逃げると、ヘンリーに不信感と母への疑惑を植え付けた、先入観もあったのだが、賢明なヘンリーの行動が理解できなかったです…。やはり、母アデルが女としての「愛」に目覚めたとき、自分を今まで優しく包み育ててくれた「慈愛」や「母性愛」を捨てるなーと感じたのだろうか?少年は性に目覚メることで大人の世界を知り、母は愛に目覚めることで母から女に変わった。