さすが敏腕ブログ

さすが敏腕ブログ

商売人として、男として、「敏腕」と呼ばれるその日まで、日々の気づきをアウトプット。自分の為に、飾らず、本音で、何でも、常に、その時の思いを書く。自分を知る為に。

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大義より純愛に生きたかった

今朝目覚めたら、父親から
ボスが亡くなった
と。

10年前に里親になって、
ボスとつけた。
女子にボス。

名前に意味はないけど、なんか呼びたくなった。かわいくて、弱そうだったからか。

できれば、15年、20年、生きてほしかった。

病気だったから覚悟はしていたけど、

看取ってあげれないのも覚悟していたけど、

ちょっと唐突すぎ

俺が育てて本当によかったのか。

俺じゃなかったらもっと長生きできたんじゃないのか。

この2年苦しかったはず。

何もしてあげられなかった。

せめて、苦しみから解放されたこれからは、長崎の庭で、いつまでも遊んでてほしい。

いやだよぉ、ぼす、大好きだったんだ、本当に。ぼす

ニンニンさんとの会話でこのブログを思い出し、久々に覗いてみた。

このブログは、自分を知る為、誰かの道標になるような本を出す為に、読者を意識せず飾らず書いていた。それでも飾っちゃう自分がいるので、敢えてアメンバー限定記事にして。アメンバーなんていないのに。

フラッシュバックしまくった。

ありのままに惜しげもなく書けば、そのまんま思い出せるんだなぁ。やっぱり日記は書いたほうがいいかも。

ただ、

書いてる事、なんか今と変わんない。中身は当時と変わっていない気がする。それはなんだか残念な気もするけど、まぁ、前より悪者になってる感じはしないんで良しとする。

そんな気づきがあるのも日記。
書き続けるべきだったなぁ

たいらの爺ちゃんが老衰で個室に入ったと聞き、長崎便に飛び乗った。話せるうちに話したい。少しでもじいちゃんが気分良く最期を迎えてもらいたい。

でも何を言っていいのか、わからない。言いたいのは、

・教えてもらったいろんなマナー、箸の持ち方、送ってもらった車を見えなくなるまで見送ること、は今でも凄く役立っていること
・婆ちゃんが亡くなる前、仕事を優先して帰らなかったことへの謝罪と、できれば婆ちゃんにそれを伝えて欲しいこと
・ひ孫の顔を見せられないことへの謝罪
・最期を看取れないこと。どうしても成したい事があって、婆ちゃんの時を繰り返すけれど、許してほしいこと


でも、

爺ちゃんはまだ生きてる。生きている人に言うことじゃない気がしている。でも、生きてる時にしか言えない。

俺のわがままじゃなく、爺ちゃんにとって一番良いことだけを口にしなきゃと思うんだけど。

親父のように、あっけらかんと「よう生きたねぇ、もう十分じゃろー」と言いたいところなんだけど、、、

いや、

やはりそのほうがいいのかな。笑って送るべきか。
うん、そうする。あとで墓の前でこれは言います。
書いてみてよかった。
昨日、2.1が自治体と契約を結んだ。
社員を採用したら助成金をもらえて、事務所を借りたら助成金をもらえる。
市長と協定書に印鑑を交わし、地元メディア向けに記者会見し、未来を語り、理念実現と地域貢献を高々と約束した。
記念パーティーには、自治体、銀行、企業のそれぞれ有力者が介してくれた。
「私はもう御社のファンです」
パーティーで、自治体側で話をまとめてくださった中心人物から言葉を頂いた。
今朝、これから上場までのストーリーを顧問と確認した。

これまでもこれからも、実現していくんだと思う。
立ち止まったり戻る選択肢は元々無いし、すでに失敗できる状況に無い。

新しいこと、知らないことが好きだから、ずっと意欲的にやれてもいる。

だけど、

やはり今回のイベントが終わって残ったのは、悔しさというのか空虚というのか、、、

自分一人ではできなかった。

繋いでくれた人
段取りを教えてくれた人
現場対応してくれた人
フォローしてくれた人

ただ信念を発信して、それに呼応してくれた客に役立つ一心でやってただけ。
自分では何も成していない。
知らないことばかりで、あれよあれよと、気づけば協定。

なんの仕事もしてない。
これからスタートするのであって、凄くもなんとも無い。まだ結果を出してない。
世のでかい会社の足元にも及ばない。


映画見に行きたいなぁ