(【その1】からの続きです)


3日後に来たメール。


それは私が師事を考えている先生からだったのです。

日本の感覚だと、受験して結果が来るまでの間に

当の先生からコンタクトがあるなんて、思いもしないじゃないですか。


え?何事だよ???

と推薦状の件もあり、ビビって、メールを開けたところ…


と、その前に背景説明。


この先生とは昨年2007年にイリノイにいた際
(1月~5月のブログをご覧ください)に

メールで何回かやり取りをしていて

そのときの対応のあまりの親切ぶり~

・どんなにくだらない質問でも、メールは必ず翌朝に返信してくれる。

・「他の大学はわからないけど、先生のいる大学受けます」と言った所、

 先生がアプライ必要事項のURLをつけてくれた上、

 学部の秘書さんに連絡してくれ、秘書さんから直接メールが届いた~

にぐっときて(アメリカでは普通?)、

゛よし、この先生のところで勉強するぞ!″と思うに

至ったのです(もちろん、研究内容が魅力ですが)。


先生から

「確か昨年イリノイに行ってたよね?

もしかしてDr.●●と一緒に働いていたの?

君のアプリケーションには、そのこと書いてないけど、

どうなのかな?君のバックグラウンドについて

きちんと知りたいから、教えて。

これは合否とは関係ないから。」


はい、このドクター●●、

私がイリノイで聴講を断られた

大御所・大人気教授でございます。(泣)

確かにイリノイには

この教授とコンタクトを取ろうと思って、

行ったのです。

でも、叶わず。

もう、その時は


゛お先真っ暗、どないしよう?″


と思っていたところで、気分を紛らわすべく

前から論文を読んでいた、上記メールをくれた先生との

コンタクトが始まったのでした。

(ある意味、災い転じて、福となす…なのか)


だから、もちろん●●先生とは一緒になんて働いていない…。

あ~せっかく先生が興味を持ってくれたのに、

自分をアピールできないなんて!

最悪だ=======!!!


結局、正直に

「●●先生とはお忙しくて、コンタクトもとれませんでした。」

と書いて、苦し紛れに自分のペルーでの他の数少ない調査経験を

言い訳がましく書いたのでした。

情けね。


先生からは、返事が来て

「いや、実は“Dr.●●は、もう考古学の学生は取らない”と

聞いていたので、君は例外かと思っていたんだ。

再度言っておくけど、これは単なる僕の興味で、

合否には関係ないよ。」


この後、結構落ち込んで

イリノイ仲間のJoeちん にメールで愚痴ったところ、

「それは悪いニュースじゃないと思うよ。

先生が○○のアプライに、気づいたってことだろ?

いいサインじゃん。」


ていうか、私が「先生のおかげで無事アプライが終了しました。」

って、メールしたんだってば!

そりゃ、見るだろ、たぶん。


ま、なるべく…良い方に考えるようにはしてますが。

考えると、私の複雑なバックグラウンドをきちんと知りたいと言ってきて

くれた上記の先生も、推薦状をきちんとcommitteeに回してくれた秘書さんもとても親切なことには変わりないわけで。


ますます行きたい気持ちが募った事件ではありました。


ちなみに複数校出願した

前述のJoeちんは

ある大学から「あなたの必要書類届いてないわよ。」と連絡がきたので、

確認の電話を入れたところ、

「忙しいのに、電話してくるな」

と言われたそうです。


それに比べりゃ、なんと親切な。

日本の友人達曰く

「○○のアプライしたところは応募者少ないの?

普通そんなきめ細かい対応、日本の大学でもしないよ(笑)。」

とのことでした。


最後にJoeちん曰く

「リラックスして、良い方にもの考えて(結果を)待ってろよ。」


なーんで、年下にたしなめられてんだ、私(笑)。


ほんとに良い結果が出るといいなぁ。