今も続く動物たちの感染症の苦しみ。口蹄疫。


日本の人たちよ、どうして彼ら(牛たち)を見放すのか。助けてあげられないのか。

病気になって、とさつされ、埋められてしまうなんて、心苦しくないですか?


もともと家畜と言うのは、かつて農家で飼われ、田畑を耕してくれていた身近な動物たちであった。

本来、人とともに暮らしておった。

それが、現代ではまるで工業生産品のようにオートメーション化され、たんぱく質として食べられることになってしまった。

明治の文明開花というあだ花に、西洋の食習慣がハイカラとされ、一流ホテルの献立メニューにステーキが並ぶようになったのだ。


考えられても見よ、昔の日本人は「四足二足」という四ツ足の動物や二本足の鳥などの肉類は食べることはなかったのだ。

日本古来の神道、そして不殺生を十善戒の一つとする仏教のおかげである。


つまり、食物は五穀と野菜を主とする和食なのだった。

山の幸、海の幸として天地自然の恵みと受け取っておった。

今も我らの住む田舎町では、鎮守の氏神さまの秋祭りが続いている。初穂をお供えして祝う、日本の良い文化である。


列島のあちこちに、太古の昔の貝塚といって貝殻が発掘されるが、あれは、海辺の貝を拾って必須栄養源としてのタンパク質として自然の恵みを頂いていたのである。そのなごりである。


西洋の旧約聖書にもあるであろう。「牛の乳で子牛を煮てはならぬ」と。

つまり、子供を育てる乳で子牛を煮るのは、あまりに辛く哀しきこと。西洋にはそういう感性もあるのだ。


ならば、我ら日本人はどう考える。


牛の牛乳をいただいているのだから、乳がでなくなったその親牛まで食べてよいのだろうか。

鶏やうずらが産んでくれた卵をいただいているのだから、産めなくなったその親鳥まで食べてよいのだろうか。

あまりに恩知らずではないだろうか。


動物たちの幸せを考えてあげてほしい。

すべての生き物たちには、それぞれにお役目というものがある。

帰するところ、他のために生きて生命が循環している。

弱肉強食を是としては、自然の掟にそぐわないこととなるのだ。


地球世界が愛の星になるのは、いつのことだろうか。

とくに、女性たちの天性である愛情は、いのちを育てるという誠に尊い働きなのである。

あなたたちの心に秘めある本来の「愛」に目覚めてほしい。


この麗しき水の星、地球のために。