2017年11月。
癌告知を受けた頃。
癒えることの無い悲しみが始まった頃。
辛い現実を突きつけられましたが、妻さやかはこの世に存在していました。
まだ失っていない。
さやかは変わらずに側にいてくれているのに、
何故悲しいのか。
それは喪失する事を想像してしまうから。
さやかから検査の結果と、病院から呼び出しを受けた事を聞いた時、
マイナス思考が猛烈な勢いで膨れ上がり、頭の中に多くの想像が駆け巡りました。
病名の事。
治療の事。
仕事の事。
子供の事。
他にも色んな未来を想像し、悲しみで涙が溢れました。
この事前に想像を膨らませる行為は、
告知を受けた時の衝撃を和らげるためや、
喪失する時が来た時の悲しみを軽くするための予行練習のようなものだったのかもしれません。
さやか本人も多少不安そうにしていたところはありましたが、両親も来てくれていたので、表情はそんなに暗くはない。
さやかは前向きな性格をしているところがありましたが、私は逆に疑り深い性格。
まだ告知をされていないのに、
いち早く絶望感を感じ、
気分が悪くなりました。
そして告知当日。
この日は大腸内視鏡検査を行った日。
検査後の待ち時間。
さやかはもう自信たっぷりで。
「笑い話になるって。大丈夫。重い病気じゃないよ。」
と笑い飛ばしていました。
私もさやかを不安にさせまいと表面上は同調していましたが、本当のところは吐き気を堪えるのに必死でした。
そして診察室で告知を受けた時。
私は「やっぱり」という思い。
さやかは「まさか」という思いの違いが大きくあったと思います。
さやかは愕然とし、涙を流していましたが、
私は逆に冷静で、様々な質問や今後の治療方針など、先生としっかりと会話していたと思います。
出来る限りの最悪の事態を事前に想像するようにしていた事が、告知時の衝撃を少し和らげたんだという気がします。
これは性格の違いで、あえて私がこうしていた訳ではありませんが。
でもさすがに告知当日は、身体に力が入らず、食事も取れませんでした。
ですが、翌日からはこの先の治療に向け、前向きな気持ちに切り替わっていました。
また、大腸癌の抗がん剤の総効率が比較的高い事を知った事も、気持ちが前向きになれた一つの要因だったと思います。
検査結果待ちの状態から、告知を受ける時までの心理状況は人の性格によって様々だと思います。
私の場合は、これでもかというくらいマイナス思考になり、
最悪の事態を想像して深い絶望に沈んだ後、その反動で少し立ち直った感はありました。
本人であるさやかの心境は、本人に聞いて見なければ分かりませんが、
私の前で涙を流す事は少なかったです。
影でたくさん泣いていたのだと思いますが。。
これから先、私達は過酷な闘病生活に入ります。
そして最大の悲しみが、
11ヶ月後に訪れます。