2018年6月3日。
最近だいぶ熱い日が続くようになってきました。
この記事を書いていた時も、今も、東京は6月でもかなり熱いです。
買い物に出かけた時、沢山の子供連れのファミリーが公園の芝生にレジャーシートを敷いてピクニックを楽しんでるのを見かけたりしていて、とても穏やかな日常でした。
嫁さんが元気だった頃は、私も同じように家族みんなで近くの公園や河原まで行って、嫁さんの手作りのお弁当食べたりしていました。
あの頃は普通のファミリーしてたなぁとしみじみ感じます。
でも嫁さんが亡くなってからはレジャーなんて全くしてません。
レジャーシート敷いてピクニックなんて全くそんな気になりませんし、旅行も行きたいと思いません。
娘に、
「また軽井沢行きたーい。」
とか言われる事がありますが、
子供二人と私だけで旅行なんて絶対行きたくない。
何で行きたくないんだろう?
具体的な理由はないけど、きっと楽しくない。
やっぱり家族って「母親」という存在がないと、うまく機能しないもんだなと、つくづく感じます。
そんな子供連れのファミリーを見て、羨ましいとか妬ましいとか思う事はないのですが。
ふとデジャブのような。
嫁さんの記憶が流れ込んでくる瞬間があります。
それはある格好をした女性を見かけたとき。
これくらいの陽気になると、女性の方は日焼けが気になるのか、麦わら帽子を被る人が増えるようです。
嫁さんも麦わら帽子が大好きでした。
そして薄手の白いブラウスにガウチョパンツが定番。
私の頭の中に出てくる嫁さんの服装はいつもその格好でした。
実際にいつもそうだった訳ではないのですが、印象が強く残ってます。
抗がん剤治療で少し薄くなっていた髪型も隠せましたし、胸元に入れていた点滴用のポートも上手く隠せました。
理由はそれだけではないでしょうが、スッキリとした格好が良く似合っていました。
最近暑くなってきて。
同じような服装をした女性の方を見かけることが増えてきました。
その姿を見ると、
同じ格好をした嫁さんの姿が私の頭の中に現れます。
寂しいような懐かしいような。
ジーンとこみ上げるがあります。
先日、娘に麦わら帽子を買ってあげました。
その姿はますます嫁さんに似てきました。
街角に見る妻の面影。
そして街角だけではなく、
娘からも妻の面影を見る事が出来ます。