2017年10月16日。
さやか亡くなってから2日が経ちました。
さやか亡くなってから2日が経ちました。
私は身近な家族を亡くした経験がありませんでした。
数日後に葬儀を執り行って火葬をする事は知っていましたが、
その間に亡骸をどこに安置するのが一般的なのか、私は知りませんでした。
私が小学生の頃、秋田県に住んでいた祖父が亡くなった時は、ずっと自宅に安置されていた事を覚えていましたが、
どうやら必ずこうしなければならない、というのは決まっていないようです。
自宅の立地条件や地域によって様々なようですが、
さやかの場合は、亡くなってすぐに葬儀場に運ばれ、そのまま葬儀場に安置されました。
そのため、さやかに会うためには、葬儀場まで足を運ぶ必要がありました。
亡くなった次の日。
私は一人、さやかに会いに行きました。
外はシトシトと、雨が降っていました。
さやかが安置された葬儀場は、
静寂に包まれていて、
雨音だけがその場に響いていました。
棺の中で白装束の姿となり、
横たわるさやかは、
相変わらず穏やかな表情をしていました。
もうさやかは痛くない、辛くない、
そう思うと、悲しいけど安心する。
さやかの鼻には綿が詰められていました。
少し血が滲んでいる。
死後も鼻からの出血が止まらない状況でした。
最期の時、さやかの身に起きた出来事がどれだけ辛いものだったか、
その血が物語っていました。
そっと顔に触れると、
冷たい。
身体が傷まないようにドライアイスを敷き詰めていました。
さやかの頭を撫でながら、
「また明日会おうね。お寿司とチューハイ、持ってくるから。」
また明日会う約束をしました。
お通夜は行いませんでしたが、
また明日会う約束をしました。
お通夜は行いませんでしたが、
葬儀場のはからいがあり、
葬儀の前日に遺族控室にさやかのお棺を置き、家族で最期の夜を過ごす事が出来るとの事でした。
そして今日。
私と娘と息子。義兄ファミリー4人と義妹。
みんな揃って、さやかと過ごす最後の夜を偲びました。
悲しい気持ちでいっぱいだけど、最後にさやかと過ごす時間を持つことが出来たことを感謝していました。
そしてまだ、実感が湧いていませんでした。
後から来る悲しみの嵐を考えると、
この時はまだ、本当の悲しみが訪れていない時間でもありました。
さやかとの出会い。
結婚した馴れ初め。
家族みんなで過ごした日々の出来事。
今まで話した事が無かった、
さやかにまつわる幸せな頃の楽しいエピソードをみんなに教えてあげました。
みんな楽しそうに聞いてくれました。
隣にはさやかもいました。
さやかも聞こえてたか。
ゴメン、色々と言っちゃった。
ちょっと恥ずかしいよな。
私と子供達とさやかと一緒に写真を撮りました。
ブログにアップする事は出来ませんが、
穏やかで綺麗な表情をしたさやかとの写真をいっぱい撮りました。
私も子供達も笑顔でした。
今でもたまにこの時の写真を見返します。
さやかの安らかな表情。
みんなの笑顔。
でも。。
なんだか不謹慎にすら感じる。
笑顔になんかなれるはずもないのに。
さやかは死んでしまったのに。
なんで笑顔なんだろう。
バカか俺は。
写真を見返してそう思い、
卑屈になった時期もありました。
今でもたまにそう思いますが、、
最近は少し考え方が変わってきました。
最近は少し考え方が変わってきました。
笑顔でさやかを送れたこと。
そして子供達が笑顔でいる事がもっとも大切なこと。
さやかはきっとこの形を望んでいたと思う。
亡骸と写真を撮るなんて、賛否両論あるかもしれません。
でも私はこの写真を残す事が出来て良かったと思います。
この時のさやかの表情が、この闘いの全てを物語っているのだと、子供達に伝える事が出来るからです。
お風呂に入り、寝る前に。
全く動かなくなったさやかの事を、
娘が不思議そうに見ていました。
なんでママ動かないの?
それは死んじゃったからだよ。
死んじゃうと動かないの?
そうだよ。
悲しいね。
うん。
4歳の娘はまだ理解していませんでした。
最期を迎える日が近い時、いつもの優しいママが変わっていく様子を見て怖がっていました。
最期を迎える日が近い時、いつもの優しいママが変わっていく様子を見て怖がっていました。
最期の日もさやかに会わせましたが、怖がってずっと泣いていて、自分からは近寄ろうとしませんでした。
4歳の子供には難しい事は理解してはいましたが、
ちゃんとママとお別れをして欲しい。
そう願っていました。
こうして、さやかと過ごした最後の夜は終わりました。
明日はさやかの姿も形も全てが旅立つ日。
しっかりと見届けるからね。
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