2017年10月14日。
妻さやかは天国へと旅立ちました。
この日のさやかの苦痛は想像を絶するものだったと思います。
今でも夜、目を瞑ると、この時のさやかの姿を思い出して胸が苦しくなり、眠れなくなる時があります。
さやかの最期の時。
私が出来うる全ての感謝をさやかに伝え、
眠るように息を引き取りました。
全てをやり遂げ、
もう後悔はない。
己の人生に満足して逝ったんだと、
私は信じたいです。
21時。
当直の医師が来て、さやかの死亡を告げました。
21時ちょうどでした。
本当は、ずっと一緒に診てくれた主治医に最期は看取ってもらいたかったのですが、
主治医は17時くらいに別の病院に移動しなければと言って、K病院を後にしていました。
主治医がその時に言っていました。
「先程奥様の様子を見に行った時、こうおっしゃっていましたよ。」
『○○ちゃん。ずっと一緒だからね。。』
私が家族に緊急の連絡を入れるために、病室を離れた時のことだったようです。
あの時、娘の名前を呼んでいたんだ。。
さやかは娘の事を本当に大事に育てていました。
一番愛していた存在だったでしょう。
さやからしい最期の言葉。
この言葉がさやかの本当の最期の言葉でした。
14時くらいに伯母が来てくれた時に聞いた「ありがとう」が、私が聞く事が出来た最期の言葉でした。
その言葉でも良かったのですが。
本当は聞きたかった。
愛する存在を想うその言葉を、本当は直接聞きたかった。。
21時半に義兄が岡山から到着しました。
ほんの30分の差。
義兄は妹の最期の瞬間に立ち会う事が叶いませんでした。
残念だけど、でも彼も全力で向かってきてくれました。
遠い岡山から急いで来てくれたその気持ちは、さやかに届いていたと思います。
さやかとの別れの時間。
さっきの出来事が、夢の中の出来事のような気がする。
さやかの呼吸が次第にゆっくりになり、
心電図モニターの血圧、呼吸の数字があっという間に0に近づく。
呼吸が止まる。
さやかの表情は変わらない。
さやかはただ眠っていて、声をかければ普通に目を覚ましそうな感覚にとらわれました。
事実に向き合うこと。
気丈で居ること。
さやかが教えてくれた。
そしてさやかを失う覚悟と心の準備を散々繰り返してしてきたから。
唇を噛み締め、
涙が溢れ続けましたが、
取り乱す事はありませんでした。
葬儀屋の手配もこの場で進めなければならない。
事務的な作業があるのは逆に有難い。
事務的な作業があるのは逆に有難い。
冷静になれる。
自宅から近くにある、希望していた葬儀屋さんの手配が出来ました。
最期に、看護師さんにさやかの身体や顔を綺麗にしてもらいました。
30分くらいでしょうか。
その間は病室を一旦離れました。
病室に戻って見た時、
さやかの様子は一変していました。
白い装束を身に纏い、手は合掌。
顔には白い布が被せられていました。
あまりにもさやかの死を実感させる姿でした。
震える手で、白い布を取って見たさやかの顔は、
とても穏やかでした。
安らかな表情をしていて、ニコニコしているようにも見える。
すこし化粧もしてくれたようでした。
自分の成すべき事を全てやり遂げた。
達成感すら感じる表情。
私も少し安らかな気持ちになりました。
葬儀屋さんが来て、さやかを斎場に運びました。
その場で納棺の儀式が始まる。
旅支度の姿にならい、足袋や袴などが付けられていく。
さやかの身体はまだ少し暖かった。
その後の日程が決まりました。
葬儀、火葬は、
3日後の2017年10月17日。
通夜はありませんでしたが、その代わりに前日に斎場の親族控室に泊まり込んで、さやかと最後の夜を過ごす事が出来るそうでした。
一通りの打合せが終わって、家に着いたのは午前1時過ぎ。
岡山から駆け付けてくれた義兄が、ずっと一緒にいてくれました。
心強かった。
ありがとうございます。
これからは喪主として、
さやかをしっかりと送り出さねばならない。
明日から俺、大丈夫かな。。
でもさやかがきっと見守ってくれている。
さやかも頑張ったんだ。
私も最後の最後まで頑張ろうと思った。