2017年10月14日。
 
この日は妻さやかが亡くなった日。

 

 

この時の記事に関しては、

 

いつも通り書き進める事が出来ませんでした。

 

 

この日付を書いてから、
 

しばらく泣いてしまい筆が進みませんでした。
 

ついにこの日まで来てしまったと思うと、あの瞬間の悲しさが強く蘇ってしまいました。
 

 
当時の日記があって良かったです。
 

日記に基づいて忠実に書けばいいのだと気持ちを切り替えました。

 

この日記が無ければ、とてもじゃないけど書けなかったと思います。
 

 

今までこのブログを応援して頂いた方も、

 
読むのが辛いかもしれません。
 

ご理解頂きたいです。
 

 
私は子供達に、

 

妻が闘い尽くした全ての姿を書き残したいのです。
 

 

 

 

日が変わって10月14日。
 

夜中もさやかの苦痛は続きました。
 

夜中の3時。
 

痛みを訴える唸り声がさらに強くなり、急変してから4回目のオプソ。
 

いつものように効いて欲しいと心の底から祈る。
 

 
さやかの容体は一旦落ち着きました。
 

おそらく少し眠ったんだと思います。
 
 

朝6時。
 

また唸り声が強くなり、起き上がる。
 

そして5回目のオプソを飲もうとしました。
 

しかし手も口も震えてしまい、上手く飲む事が出来ない。
 

私も懸命に補助しようとしましたが、どうしても飲めない。

 

 

そしてこんなに懸命に飲もうとしても、効果が無い現実。

 

5回目のオプソは諦めました。

 

その後もさやかの唸り声は延々と続きましたが、もう何かを明確に訴える訳ではありませんでした。
 

聞いても何も答えてくれない。
 
 

明らかにさやかの身に何かが起きている。

 
 

長い夜が明けました。
 

さやかは苦悶の表情を浮かべながら、寝たり起き上がったり、寝返りしたり、身の置き場がない感じ。
 
 

呼びかけに何も答えられない。
 

当然何も食べられないし、薬も飲めない。
 
 

ちゃんと話がしたい。
 

どこが痛い?何がしたい?

 

どこをさすればいい?起きるか?横になるか?
 

 

一生懸命に声をかけたけど応答がなく、

 

ついに動く事も出来なくなってしまった。
 

 

13時くらいに主治医と会話。
 

あと3,4日が山場だろうと言っていました。
 

 

一斉に家族に連絡を入れる。
 

ついに来てしまうのか。その時が。

 

いつか来てしまうと覚悟はしていたけど。

 

あまりにも早い。。
 
 

14時。
 

横浜に住む伯母が来てくれました。
 

さやかはこの時、虚ろな目をしながらも、誰がか来てくれた事を理解していて、

 

「ありがとう」って言ってくれました。
 

この時の「ありがとう」が、

 

私が聞いた彼女の最期の言葉でした。
 

 
15時。
 

反応が全然無い。
 

顔を覗きこんでも、目を合わせてくれない。
 

痛みなのか苦しさなのか、ただただ唸り声をあげながら呼吸をするだけになってしまった。
 
痛みがあまりにも強いと判断し、鎮静用の点滴投与を開始して、心電図モニターを付けました。
 

 

16時。
 

まだ唸り声が続く。

 

そして血圧が急激に下がった。

 
その様子を見た看護師さんが家族を呼ぶように私に言いました。
 

 

今日がその日なのか?
 

3,4日が山場じゃないのか?
 

そんな急な事があるのか?
 

 

もう一度家族に一斉に連絡を入れる。

 

もしかしたらもう、今夜がその時なのかもしれない事を伝える。

 


17時。
 

自宅で待機していた盛岡の両親二人と子供達を呼び寄せました。
 

 

私は子供達を一人一人抱え上げ、

 

ベッドに横たわるさやかの目線の先に、

 

娘と息子を姿が見えるようにしました。

 

 

反応はないけど、きっと見えているはず。

 

子供達の声が聞こえているはず。
 

 

貴女が産んだキラキラ輝く宝物がこうやって傍にいる。
 

ありがとう。ありがとう。
 
 

18時。
 

義妹と体調不良で実家に戻っていたさやかの両親も来てくれました。
 

みんなが揃ってきた。
 

後は岡山に住む義兄だけ。
 

 

岡山は遠い。
 

間に合ってくれ。。
 

 

さやかは唸り声を上げる事が無くなり、

 

下顎呼吸に変わる。
 

 

顎で息をし始めると、もうその時が近いサインだと知っていました。
 

 

気持ちが焦る。
 

やっぱり今日なのか。。
 

 
19時。
 

鎮静用の点滴が効いてきたのか、
 

さやかの表情が穏やかになってきました。
 

 

目は虚ろでしたが、
 

うっすらと開けていてくれました。
 

そして一筋の涙。
 

さやかの瞳から溢れたのを見ました。
 

自分でもその時が来た事が分かっていたのでしょうか。

 

悲しくて悔しくてたまらない。

 

 
サチュレーションは90前後でしたが、
 

血圧が50を切りました。
 

やはり恐れていた肝臓からの出血が起きてしまったのだと思う。

 

 

痛かったね、さやか。。
 

もう痛みは楽になってきたか?
 

 

さやかの足元を撫でてあげた。

 

既に膝が固くなり、硬直が始まっていた。

 

別れの時が近づいていると、覚悟を決めた。

 

 

20時。
 

さやかの表情は落ち着いていましたが、その時が近づいている予感がしました。
 

私はさやかに伝えたい事があり、
 

さやかの瞳をずっと見つめ、手を握っていました。
 
 

絶対に忘れない。
 

貴女が私をずっと支えてくれた事を。
 

貴女が必死で子供を産み、育てた姿を。
 

貴女が最期まで懸命に病と闘い抜いた姿を。
 

 

ありがとう。本当にありがとう。

 
 

脈拍数が落ちてきた。
 

50を切った時、看護師さんが来て危険を告げた。
 

20:55くらいだろうか。
 

 

そこからは早かった。30、20、、0。。
 

脈拍数が0になるのとほぼ同時に、

 

さやかの呼吸が止まった。
 

 

泣き叫んだ。

 
何度もさやかの名前を呼んだ。
 

ありがとうって何度も言った。
 

 

聞こえてるか。
 

 

満足したからもう逝くんだよな?

 

素晴らしい人生だったと納得したから逝くんだよな?

 

もう引きとめないよ。
 


良く頑張ったね。
 

 

 
2017年10月14日 21時ちょうど。
 
 

 

妻さやかは息を引き取りました。