2017年10月12日。
肝動注治療を行うために挿入した動注ポートとカテーテルが、
感染症により敗血症を起こし、死に至る可能性まで出てきてしまった。
A病院には確かにもう関わりたくなかったけど、そのままの状態にする事が出来ない程に、感染症の状態は悪くなっていました。
動注ポートを外す手術をするか。
そのままにするか。
非常に難しい判断でした。
何が正解かは分からない。
そんな時は強い意志を持って決めるしかない。
でももう。
私には自分の判断に自信が無くなっていました。
A病院は老医師は誠意を持って抜去する提案をしてくれていたように思えました。
流れに任せようとしてしまった瞬間、さやかの強い意志に助けられました。
A病院を後にし、主治医がいるK病院に向かう車の道中。
さやかは泣いていました。
「大丈夫かな?私、大丈夫なのかな。。?」
難しい判断の中、
強い意志を示したさやかでしたが、
死への恐怖に襲われていました。
「大丈夫だよ。。間違ってない。」
私は泣きながら答えました。
大丈夫という言葉が嫌い。
でもそんな事はさすがにもう言っていられない。
大丈夫という言葉をかけてあげないと、
さやかが消えて、どこかに行ってしまいそう。
K病院に着きました。
主治医は今夜にでも動注ポートの抜去手術をするつもりで準備をしてくれていました。
素早い対応で驚きましたが、
このポートは主治医自身の手で設置したポートではない。
そしてA病院からあった情報提供によると、
ポートだけでなく、肝臓内まで繋がっているカテーテルまで抜かなければ感染症のリスクは残る。
本当にうまく抜去出来るのかという不安と、
もうこれ以上、さやかに負担をかけたくないという思いがある。
手術は望んではいませんでした。
出来れば何もしたくない。。
不幸中の幸いという表現すらしたくありませんが、
主治医はさやかの腕の注射痕を見て、内出血が多い事が気になると言いました。
内出血が多い場合、手術中の出血を止める血小板の値が下がっている疑いがあるということ。
緊急で血小板の検査をした結果、基準値を下回る7という数字で。
白血球の数字もかなり下がっていました。
原因は不明でしたが、今夜、抜去手術をする事が危険である事は間違いないとの判断が下されて、
入院して日々の状態や、血液検査の結果を見ながら、抜去するタイミングを図ろうという方針でこの時は終わりました。
病棟の病室でさやかが落ち着いたあと、
私はナースステーションを訪れ、主治医と今まで選択してきた治療の話をしました。
さやかのためにと考えて、私がしてきた事は正しかったのだろうか。
悔しくて悔しくて、全てを吐露しました。
これが最善と思って選択してきた様々な治療が全てが、
期待される平均的な効果を得る事がなく、
また発生率が低いはずの副作用やまさかの医療ミスにより、さやかの身体を痛めつけた。
さやかと気持ちを常に合わせてきたから、選択してきた事には後悔はない。
得られる効果の確率も調べて、その選択をすることが最善と判断した。
私だけでなくさやか本人もそうだと思う。
でも、結果はいつも散々だった。
結果からすれば、何もせず、何も考えず、
ただ穏やかに残された日々を過ごす毎日を選んだ方が良かったのではと思う。
だから、私達がやってきた事は全て間違っていたのだと。
そんな今の私の心境を、主治医に吐き出しました。
主治医には、今までの選択を全て相談していて、どんな治療をしてきたか知っていましたし、私達の意志を尊重してくれていました。
その主治医は、
私の考え方を否定しました。
がん治療においては、様々な選択肢があるが、何が奏功するか分からないという意味では、その時々の慎重な判断は全て誤りではない。
そういう意味では、ここまで精一杯考え、尽力したご夫婦は見た事がない。
そう言ってくれた事は、慰めになりました。
加えて。
結果論は何の意味もない。
結果を悔やまないでほしい。
今のがん治療には限界がある。
これからは部位別ではなく、遺伝子別の治療になる時代が来るかもしれない。
遺伝子治療の幕が明ければ、
今までの正解と不正解の違いが明らかになるのではないか。
会話の後半は、遺伝子治療の未来についての主治医の熱い想いをお聞きしました。
未来の話ですから、
もちろんその主治医の想いが正解とは限りません。
でも仮にそれが正解だとしたら、
遺伝子治療の幕が明けるのは何年後なんだろう。
もしそう遠くない未来に、
癌が治る時代が来るのであれば。
治る時代を経験出来るはずの若さで、
治る時代が来る前に癌になってしまった事が、悔やまれました。
今はもう、
さやかが望むことを叶えてあげて。
穏やかに過ごすこと。
最期の時までさやかの願いを叶え、
添い遂げる事が、私の目標になりました。
|