2017年10月12日。
 
 
腹水治療を終え、
 
この日は要町病院を退院する日。
 
 
さやかの全体的な状態を診てくれたM先生から聞いた診断結果は、楽観的な話ではありませんでした。
 
 
先生から伺った事は、さやかの余命や転移の状態だけでなく、
 
A病院で行った鼠径部の手術痕が感染症を起こしているという事実。
 
 
絶対に行きなくないA病院に再度行かなければならない理由も、
 
ご説明を頂いて、理解は出来ました。
 
でも、あの忌まわしい記憶が蘇るA病院に行く事には抵抗がありました。
 
 
この日の午前中は、輸血や抗生剤など、必要な点滴を行ないました。
 
さやかの体調は悪くない。
 
意識はしっかりしている日でした。
 
まだまだ前向きに考えていきたい。
 
そんな思いでした。
 
 
ただ今のさやかの状態では、
 
残念ながら、KM- CART治療の効果を維持する事は難しかったようです。
 
 
一晩明けた時には既にお腹がパンパンに膨れていて。
 
足のむくみの状態も変わらない。
 
 
KM-CART治療前と全く変わらないと言っていいかもしれない。
 
アルブミンを始めとした栄養状態があまりにも悪過ぎると、腹水もあっという間に元通りに溜まってしまう。
 
また腹水が溜まるのは分かっていた事だけど、
 
少なくとも1、2週間は楽な状態を維持できると思っていた。
 
一晩で元通りになってしまうなんて考えもしなかったし、
 
その可能性については説明もなかった。
 
 
何の治療も出来ない絶望的な状態だった事を考えると、
 
昨日一日、気休めでも救われた時間があった事は貴重な事だったかもしれない。
 
 
だとしても。
 
こんな結果になるなんて。
 
 
正解があれば、誰かに教えて欲しかった。
 
 
 
お昼過ぎにA病院から電話連絡が入る。
 
「午前中に来るかと思っていました。午後は院長先生は手術入っているので、来られてもだいぶお待ちになります。」
 
 
そうでしたか。
 
 
院長先生のご都合を聞いていなかった私が悪かったのか。
 
そちらで手術をした箇所が感染症を起こして敗血症になりかけているのに、
 
だいぶお待ちする必要があるらしい。
 
 
イライラを抑え、到着時間をしっかりと決めていなかった自分が悪いと自分を言い聞かせ、院長先生の手術が終わる時間を聞き出しました。
 
15時くらいに来て頂けるのがベターだとの事だったので、時間を合わせて出発しました。
 
 
A病院には15時過ぎくらいに着きましたが、院長先生はまだ手術中だった。
 
看護師さんが来て、
 
今からレントゲンとCTを撮ると言って来た。
 
 
要町病院で二日前に撮ったものを既に提供済みである、と丁重に断ったら、そうでしたかと身を引いた。
 
何のための診療情報提供だろうか。
 
 
またしばらく待っていたら、医事課の事務員が来た。
 
持ってきたのは入院と手術の承諾書だった。
 
まだ医師が傷口の状態を診てもいないのに何を先走っているのか。。
 
 
また丁重に断りました。
 
順番が明らかに違う。
 
この病院は院長先生のペースを乱さない事を第一に考えた医療をしている。
 
ここでもう決断しました。
 
 
やはりこの病院が提供する医療は信じられない。
 
ここでは何があっても治療はしない。
 
さやかと意識を合わせました。
 
 
しばらく待たされたあと、
 
院長先生が来ました。
 
 
また手術着を来ていました。
 
手術の合間に来たのでしょうか。
 
ゆっくりとさやかの鼠蹊部を診察する。
 
 
所見はM先生の診断通りでした。
 
感染症の状態からすると今夜にでもポートを抜去しないと近い将来に敗血症になり、
 
死に至る可能性がある。
 
どのくらいの負担がかかる手術になるかはやってみないと分からないとの事でした。
 
 
そして。
 
こうなってしまったのはこちらに責任があるから、今すぐにでも抜去手術の対応をさせてもらいたいと言っていました。
 
そこには院長先生の中にある、
 
医療従事者としての責任と誠意があったと私は感じました。
 
 
私は心が揺らぎました。
 
強い意志を持って、判断を間違えないようにしよう。
 
 
ここでは治療はしないと。
 
ついさっき、さやかと意識を合わせたのに。
 
 
私が考え尽くしてきた治療方針の数々が、今まで散々なものばかりで、
 
結果を伴わないものだった事が、私を弱気にさせていました。
 
 
さやかの方を向いて、
 
 
お願い。。しようか?
 
 
そう言いかけました。
 
その時でした。

 
さやかが口を開きました。
 
この時のさやかの言葉は、きっと生涯忘れる事はないと思います。

 
「お断りします。私はここで治療を受けるつもりはありません。なぜ私がここに来たか。それは私のような患者が存在する事を貴方達にお見せするためです。治療をしない以上、ここからすぐに出て行きます。」
 
 
さやかはキッパリと断りました。
 
そうだった。
 
さっき二人でそうすると決めた。
 
 
心が揺らいだ自分が恥ずかしかった。
 
 
 
院長先生はその言葉に引き下がり、
 
主治医が勤めるK病院宛に情報提供の手紙を書いてくれました。
 
 
「ちょっと揺らいだでしょ?」
 
この後、軽くさやかに責められたのを覚えています。
 
 
何だか2日後に死んでしまうなんて思えない。
 
強いさやか。
 
 
この日のさやかの姿は、
 
子供達に一番伝えたい姿です。

 
この時に判断を間違えず、
 
無事にA病院を後に出来たのは、
 
さやかの強さのおかげだと思っています。