2017年10月11日。
さやかが亡くなるのは10月14日。
あと四日しかない。
そんな早い別れになる事など、この時は想像していない。
要町病院のM先生には、余命はあと1週間〜2週間と告げられた。
そう言われたものの、ピンとは来ない。
さやかを失う覚悟はしてきたつもりけど。
さやかはこうして生きている。
不自由な面はあるけど会話も出来るし、ご飯も食べている。
人の死に目という物を間近に経験した事も無かったし、
毎日一緒に過ごしていた人がいなくなるなんて全くj想像が付かない事でした。
要町病院でのKM-CART治療の当日。
朝から抗生剤とステロイド点滴をして、
前日の採血でヘモグロビンが8.5と低い事が分かったので輸血をしました。
鼠径部の傷口は、現状維持といったところ。
やはりまだ出血があり、痛みがありました。
匂いと赤みもあることから。
M先生の診断通り、感染症を起こしていると思われる事は理解していました。
昨日M先生が言っていた、
「手術をした病院で抜去してもらいなさい。さもなくば敗血症で死に至る。」
手術をした病院とはA病院の事。
嫌な思い出が蘇る。
午前10時。
KM-CART治療が開始されました。
M先生が病室に来て、鮮やかな手さばきで、お腹に針が刺されて行く。
針を刺したのはお臍の下の辺り。
あっと言う間に、黄色い液体がチューブを通して大きなパックに流れて行く。
さやかの腹水の色は初めて見たけど、先生は意外と鮮やかな黄色だと言っていました。
これならば栄養もしっかり戻せるかもしれないようでした。
腹水には血液が混ざる事が多く、赤みを帯びて濁った状態の場合もあるそうです。
最初は勢いよく腹水が抜け出ていましたが、11時過ぎには出る勢いが衰え始めました。
そして後半は色が黄色ではなく赤い色に変化する。
血液が混じり始めたようです。
先生がお昼前に回診しに来て治療は終了。
合計3.6リットルを抜きました。
合計3.6リットルを抜きました。
この量は当初の想定よりも少ない。
でも確かに、治療直後のさやかのお腹は、大きくへこんでいました。
そして足のむくみは変わらない。
効果が現れるのだとしたら、時間差が必要なようでした。
午後には、不要な細胞を除去した栄養分の戻しが0.5リットル届き、点滴で体に戻しました。
KM-CART治療の感想としては、
KM-CART治療の感想としては、
・低侵襲で出来る。
・2泊3日の入院は面倒と思うかもしれないが、血液検査を初めとした身体の状態のチェックは必要で、確かに入院はするべきである。
・身体の状態、特にアルブミン値が低いと腹水を抜いてもすぐにまた腹水は溜まる。アルブミン製剤を2本事前に点滴したが、効果は薄かった。
・お腹が大きく膨らんでいても、それが必ずしも腹水の影響とは限らない。臓器のむくみや、肝臓の肥大も影響している。
さやかの身体状態からすると、効果の持続性という点では、難しい部分がありました。
KMCART治療後は必要な点滴を追加でして、夜は穏やかに過ごしました。
KMCART治療を無事に終えて、ほっと一息つきたいところだけれど、
忘れていたい現実は消えてはくれません。
それは鼠蹊部の感染症のこと。
KM-CARTが無事に終わったところで、鼠蹊部の感染症について私達は真剣に考え始めました。
色々と悩みましたが、このまま放置すると大事に至る可能性があるのであれば、
実際に手術をした老医師の見解をお聞きする必要がある。
だからまずはA病院に行く事が最善の道。
明日退院した後に向かおう。
その結論に到達しました。
癌とずっと闘ってきたのに、役に立たなかった動注ポートからの感染症で死ぬなんて、これ以上虚しいことはない。
抜去する必要性、リスク、術式はどのようなものか。
手術をしてもらった先生にちゃんと聞いて理解し、正しい判断をしたい。
さやかと認識を合わせました。
A病院に行くのはもちろん強い拒絶感がある。
明日、あの老医師の説明を聞いて、少しでも違和感を感じたならば、すぐに治療を拒否する心の用意をしました。
そして、K病院の主治医には全ての考えを伝えました。
状況を理解してくれて、いざとなったら自分が抜去をすると言ってくれました。
改めて頼もしい主治医。
だけど自分が埋め込んでもいないものを、本当に抜去出来るのだろうか。
頼もしいのだけれども、一抹の不安は感じていました。
出来る事なら抜去せずに過ごしたい。
明日はまた、あの嫌な思い出ばかりのA病院に行かねばならない。
強い意志を持ち、判断を間違えてはいけない。
そう心に決めていたはずなのだけれど、
大事な選択を迫られ、私はいざという時に弱気になりました。
その時、全てを覆す強さを見せたのは、
さやか自身でした。
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