2017年10月10日。
さやかの命はあと五日で燃え尽きる。
さやかの命はあと五日で燃え尽きる。
これはもう逃れられない現実。
その現実をもしこの時に分かっていたら、私は何をしただろう。
行動をどう変えていただろうか。
最期の五日間をどう過ごしていただろうか。
KM- CART治療などせず、
1分1秒を、
さやかと過ごす事が出来る貴重な時間を、
穏やかに大切に過ごす道を選んでいただろうか。
この日はKM- CARTを始める日。
腹水治療を行うために、要町病院に入院する予定の日でした。
腹水を抜き、さやかの苦痛を取り除いてあげる治療は、QOLを考えるととても重要なこと。
いま出来ることを必死に考えて全力を尽くしたかった。
穏やかに死を待つ事なんて出来ない。
最期の最期まで悪あがきをする。
現実を考えず走り続ける。
手を止めずに何かを施している事で、
精神的なバランスを維持出来していたのかもしれません。
この日。
さやかはかかりつけのK病院で目覚めました。
2日前に行われた娘の秋の運動会。
その日に発覚した鼠蹊部の炎症。
この場所はA病院による手術により、肝動注用のポートが埋め込まれている場所。
前々からこの傷口の状態は気になっていました。
A病院で行った手術では、大量出血し、手術予定時間も大幅に超過。
その後も痛みはひかず、傷口も塞がらなくて見た目も痛々しい。
前向きな治療を行うために必要なポートであれば、多少の痛みも前向きに考えられるのですが、
今は肝動注の治療は中止しており、無意味に存在するだけの動注ポートでした。
その動注ポートがさやかを無駄に苦しめている。
主治医は執刀医ではないので、詳しい見解を述べるのは難しいと行っていましたが、
一番怖いのは感染症だと言っていました。
動注ポートは肝臓内に直接繋がっているため、感染症を起こした場合に想定されるリスクは大きい。
KM-CARTでお腹の張りが小さくなったら、出来る対応が増えるかもしれないから、様子を見ましょう。
主治医は、このような診断しかこの時は出来ませんでした。
午後になり、要町病院に移動する時間。
K病院への移動手段として救急車を手配しようとしていましたが、
車椅子を使えば大丈夫とさやかは断りました。
私もさやかも、何だか意地になっていたように思います。
重病人扱いするなと。
気を強く張る事でその時を生きていた。
気を強く張る事でその時を生きていた。
そんな状況だったと思います。
要町病院では結構待たされました。
私達の他にも、同じようにお腹がパンパンに膨れあがっている患者が何人も訪れていました。
きっと私達と同じ治療をするために、今日から入院するのだろう。
そしてさやかは車椅子に乗り、ほとんど意識がありません。
他の患者の中には担架に横になり、お腹だけが膨らんで全く動かない人もいました。
癌になり、回復の見込みがなく、死に行く事からはもう逃れられない人達。
そんな中に私達も存在することを改めて認識しました。
もう、そんな様子を見ても動じないくらい私の心は麻痺していて、
ただ早く順番が来てほしい。
そんな気持ちで待っていました。
ようやく診察室に呼ばれました。
KM- CARTの発案者でもある、有名なM先生がそこにいました。
まず最初に、鼠径部の腫れについて、はっきりとこう言われました。
「既に感染症を起こしている。早急に手術をした病院でポートを除去しないと、敗血症となり、死に至ります。」
残酷な忠告だった。
A病院で過ごした8日間は、ただ無意味に身体と心に傷を付けただけ。
しかもそれが痛みだけでなく、死に至る可能性を生み出している。
前を向いて、全力を尽くす。
それを信条に治療をしてきて、
覚悟を決めて手術をした結果がこれなのか。
不運極まりない現実に、さやかの事を直視出来なかった。
努力なんて報われない。
諦めることが正解だった。
私は無力感に襲われました。
診察後、さやかはその場を離れ、治療前検査のためにCT室に向かいました。
その後は病棟に行き、入院手続き。
実際にKM- CART治療を開始するのは翌日でした。
病棟や病室は古くて狭い。
雰囲気はA病院と似ている。
でも働いている看護師さん達の雰囲気は全くj違いました。
真摯に医療に携わっている。
そんな印象でした。
アンモニア対策のアミノレバンを投与、あと採血の結果貧血が見られたので、明日と明後日は輸血をするとの事。
そして再度M先生に呼ばれ、ナースステーションへ足を運びました。
そこでCT検査結果を見せてもらいながら、改めて妻の病状について説明を頂きました。
鼠径部の状態は、CTの画像から改めて見ても、やはり感染症を起こしている。
そして、肺や肝臓への転移は凄まじく、特に肝臓は腫瘍の増大により被膜が破れ、形が崩れており、肥大も激しい。
意識混濁も激しく、平均的な余命は1〜2週間程度と思われる。
そして、肺や肝臓への転移は凄まじく、特に肝臓は腫瘍の増大により被膜が破れ、形が崩れており、肥大も激しい。
意識混濁も激しく、平均的な余命は1〜2週間程度と思われる。
覚悟を決めるように。
そう言われました。
そして、さらに。
ちょっとした刺激で肝臓は破裂して大出血する状態である。
そういった刺激があれば1〜2週間程度などではなく、今夜にでも即死する可能性があるとの事。
急な宣告に頭が付いていかない。
残酷な現実を率直な言葉で聞いたのは、初めてかもしれない。
言われなくても分かっていたのかもしれない。
言われないから今まで現実から逃れられた。
ハッキリ言われたから、もう逃げられない。
逆に覚悟を深めることが出来た。
そんな思いでした。
ただ、今にも起こるかもしれない肝破裂。
さやかを抱き抱える手は、いつも以上に慎重になりました。
夜には少し、さやかの意識が回復しました。
いつも18時くらいが一番調子が良い。
M先生から告げられた余命宣告は、さやかは知る必要なんてない。
今はただ、
明日から始まる治療の効果が楽しみであること。
お腹がスッキリして、動きやすくなって、もっと食べられるようになる。
良いイメージを持って、明日に備えよう。
穏やかに。
ただ穏やかに。。
|