2017年10月1日。
A病院からK病院に転院した妻さやか。
A病院からK病院に転院した妻さやか。
激しい吐血を繰り返したさやかの状態は、
「急変」という意味では峠を越えたように思います。
しかしながら、
腹水、浮腫。
黄疸。
せん妄。
それに加えて肝動注の手術の傷跡の痛みが、
なぜか思うように回復せず、
上手く歩く事が出来ない状態でした。
また、骨転移による骨盤の痛みと、乳転移による乳房の痛みも気になり始めました。
乳転移については、数ヶ月前まではただのシコリで、見た目は何も分からない状態でしたが。
この頃になると、乳房の形は変形し、紫色に変色して、シコリが皮膚から突き出てきそうなところまで来ていました。
ただ現時点で、命に関わるのは肝臓と肺。
痛みに対してのケアはもちろん必要ですが、
延命するために必要な対応という点でいえば、
骨転移と乳転移は気にしなくてよい、と考えられる事自体が、
悲しい現実を意味していました。
この日さやかは、
高校時代の友人とランチをすると言って、家の近くのファミレスに出かけました。
とてもじゃないけど、友人とランチなんてそんな悠長が出来る状態ではないはず。
本当は止めたかったけど、友人に会っておきたい気持ちは痛いほどよく分かりました。
私はファミレスの駐車場に待機して、妻の急変に備えました。
さやかの今の状態を考えると、おそらく30分くらいが限界だろうと。
そう思っていましたが、帰るコールはなかなか来ない。
結局1時間半くらい待っていました。
痺れを切らして電話をかけて、その場まで迎えに行きました。
久しぶりに仲の良い友人に会った事で、かなりアドレナリンが出たようです。
最後は疲れて眠くなったようですが、
だいぶ楽しい時間を過ごしたようです。
ただ、友人の前ではいつも通りに振る舞いたいと思ったようで、
ランチを普通の量と同じペースで食べてしまって、家で嘔吐していました。
友人との会話では、涙は無かったそうです。
さやかは淡々と病状を報告し、
後は久しぶりに会う友人達の近況報告や恋愛話など、病気とは関係ない話に終始したようです。
さやからしいというか。
自分の事を話すのは苦手で。
ちょっと離れた位置でみんなを穏やかに見ている。
この時、友人達と過ごした最後の時間も、
最後まで自分らしい姿だったようです。
そしてこの日の夕方。
普段育児サポートをしてくれている、さやかの両親を家に呼んでいました。
この時ちょうど、私の盛岡の両親が来ている状況でした。
今まで避けてきた深刻、かつ重大な相談事を、
親族みんなの前でちゃんと共有しなければならない時が来ていました。
私の両親と妻の両親は、何かと理由を付けて、あまり会う機会がありませんでしたが、
でももうそんな事を言っていられる時期ではない。
今の厳しい現状と、これからの事を話し合う場が必要。
私は両家の両親を集めて、親族同士の家族会議をする事にしました。
現実的な話をする。
死を意識した話もする。
過酷な未来の話もする。
つまり、とても辛い話になる。
さやかはこの会議には同席させませんでした。
さやか本人も、私がいない方がいいだろうと、自ら娘と別室へ移動していました。
議題は4つ。
①さやかをどのような形で看取るか。
②葬式はどこで行い、どの範囲まで人を呼ぶか。
③お墓は立てるのか。それとも納骨堂や合同碑にするのか。
④さやかの死後。3人家族になった時に周りはどのようにサポート(特に育児)するのか。
死後の話が中心になりました。
②葬式はどこで行い、どの範囲まで人を呼ぶか。
③お墓は立てるのか。それとも納骨堂や合同碑にするのか。
④さやかの死後。3人家族になった時に周りはどのようにサポート(特に育児)するのか。
死後の話が中心になりました。
さやかから事前に聞いていた想いも尊重し、
この場にいない関係者への影響も考えながら、
慎重に検討を続けていく必要があると感じました。
会議が終わり、義父と義母は帰宅。
その後、さやかにはどんな話し合いをしたか正直に伝えました。
・在宅で最後を迎えるのは難しいかもしれない。
⇒緩和ケア病棟を検討する。
⇒緩和ケア病棟を検討する。
・葬式は家族葬が良い。
・お墓は小さくてもいいから欲しい。
死後の育児の話については時間が無くなってしまったので出来なかった事も伝えました。
またまだ考える事、決めるべき事は山積みだったけど、
さやかの同意を得る事だけは、一番大事にしたい。
私の父は良く言っていました。
「死んだらその人は終わり。遺された人が頑張るしかない。」
とても非道な発言ですが。
間違ってはいない。
でも私は思います。
死に際の願いこそが、その人の真の願い。
遺される人はその願いを叶える事に全力を尽くすべき。
もちろん叶えられない事もあると思います。
でも「死んだら終わり」だからと言っても。
でも「死んだら終わり」だからと言っても。
さやかはあまりにも若い。
特に子供達。
遺して逝く物は大き過ぎる。
最期の最期まで。
最期の最期だからこそ。
さやかの願いを叶えてあげる事を、第一に考えていました。
※急に妻の名前が出てきて驚いた方もいるかもしれません。妻の名前は「さやか」といいます。
1つ前の記事にも書きましたが、何となくですが、名前で呼んであげたいな。そう思いました。
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