2017年9月23日。

A病院入院5日目。
 
外泊の許可がおり、自宅に一時帰宅する事が出来た日。
 

A病院の医療行為は、私達にとって納得の出来ないものばかりでした。
 
 
血液検査の結果など、患者への情報の開示は一切なし。
 
無許可の抗がん剤治療から始まって、大量出血の手術、術後の説明は無く、肝心の肝動注治療は拒否。
 
 
妻と私のストレスは頂点に達していました。
 
 
明らかに失敗だったとこの時点で察していました。
 
この選択肢を誤らなければ、妻の予後はどうなっていたのか。

 
死は免れないとしても。
 
少しは長く生きられたか。
 
穏やかでいられる日は増えたか。
 
笑顔でいられる時間は長く得られたか。
 
 
結果論であり、全力を尽くしたから。
 
後悔はしていないつもりですが、
 
「たられば」だけは止まらない。
 
これって本当は後悔しているという事なのだろうか。。
 
 
A病院を自主的に退院する事を心に決めたものの、術後の傷跡も生々しく、抜糸も済んでいない。
 
A病院側には、このまま治療が開始されないのであれば、早期に退院を希望する旨と、当日の外泊を願い出ました。
 

外泊については、逃亡しない事を約束する誓約書を書く事を条件に、許可がおりました。
 
初めてA病院側に我々の想いが伝わった気がして、嬉しかったのを覚えています。
 
 
妻が久しぶりに帰ってきて、喜びを隠せない子供達でしたが、
 
妻のご両親は少し戸惑っていました。
 
 
娘の状態は予断を許さず、重篤な状態だというのに、何故外泊などしてくるのか。
 
という考えと、
 
子供達の面倒をずっと見ていて、ひどく疲弊している。
 
 
妻のご両親もまだ、私達と同じように強いストレスを感じながら過ごしていました。
 
 
本来であれば、あの病院から一時的にでも逃れる事が出来て嬉しいはずなのに。
 
 
うるさく騒ぎ、暴れ回る子供達。
 
4歳と1歳の子供達に妻の深刻な状況なんて分からない。 
 
 
24時間テレビや医療物のテレビドラマなどでよく見かける感動の場面と、現実とはギャップがありました。
 
 
とにかく落ち着ける場所がない。
 
A病院が嫌で自宅に帰ってきたけど、
 
自宅もまた、育児という名の戦場である事を忘れていました。
 
 
そんな状況だったためか、妻の状態はあまり良くありませんでした。
 
妻はせん妄の症状が強く現れて意識朦朧となり、寝室に篭り始めました。
 
 
少し時間を置いて、 
 
「大丈夫。。?」
 
私は寝室に行き、妻に声をかけました。
 
「ぅん。」
 
今までで一番せん妄の状態が強く出ていました。

 
でも。いつも通り。
 
怒りもせず、叫びもせず。
 
優しいせん妄なのは変わりありません。
 
 
「ぁのね。。このま。まじゃダメな、ね。。」

妻は私に必死に何かを訴えてきました。
 
 「おかぁさんは、げぅえんかあい。。」
 
限界?
 
「たすけぇて。ぁげて。。」
 
妻はなかなか言葉が上手く出てこず、この程度の意味を、私が理解するのに10分以上かかりました。
 
 
「お義母さんが限界ってこと?それってお義母さんが自分で言ってたの?」
 
私も今の生活は限界ギリギリでした。
 
そんな中で、子供達の面倒を見てくれているお義母さんの存在は大きな救いでした。
 
そのお義母さんに限界が訪れている。。?
 
 
何か一言を言っては5分ほど沈黙し、また一言を言う。
 
私は妻の言葉を一字一句聞き逃すまいと必死でした。
 
おそらく妻は、お義母さんの負担を心配して、
 
家に帰してあげてほしいという事をずっと言いたかったのだと思います。
 
 
そこまで私に伝えると。
 
妻は疲れたようで。
 
ゆっくりと横たわり、眠りにつきました。
 
 
妻の言いたい事は分かった。
 
気持ちも良く分かった。
 
あの状態で、気力を振り絞って伝えたかった、
 
妻の両親に対する優しさも分かった。
 
 
でも。
 
妻の望む通りには出来ない。
 
お義母さんとお義父さんの協力を得られなければ、子供の面倒を見れるのは私しかいなくなる。
 
そうすると私は自宅から出れなくなくなり、
 
妻は独りで闘わなければならない。
 
 
そんな事は絶対にさせられない。
 
そして君は。
 
独りになるのを人一倍怖がるじゃないか。
 
 
矛盾した事を言いやがって。

 
リビングに戻り、
 
私はお義母さんが子供達の面倒を見るのはもう限界なのではないかと。
 
そう妻が言っていた事をお義母さんに正直に伝え、
 
本当のところはどうなのかを聞きました。

 
お義母さんは、
 
「限界なんて一言も言ってない。」
 
「確かに大変だけど、娘のこの状況であれば仕方がない。」
 
と言ってくれました。
 
おそらくこれが真実だと思うのですが、
 
今となっては分かりません。
 
 
妻が感じ取った自分の親の限界。
 
娘からの親への優しさでもあり、母を全う出来ない罪悪感でもあり、子供達の精神面への配慮であったり。
 
 
例えせん妄がひどくても、言葉が上手く出てこなくても、
 
人の気持ちを敏感に感じ取る力は衰えていませんでした。

 
今はただ妻が自宅で穏やかに眠っていること、
 
そして、それはもう、
 
数えるほどしかないその機会を、
 
有難いと思う。
 
その一点でした。