2017年9月23日。

A病院入院5日目。
 
 
肝動注化学療法を開始するためのカテーテル留置手術が終わりました。
 
 
手術中に大量出血し、また長時間に渡る手術を乗り越えましたが、
 
その手術痕は、事前に聞いていた以上に大きなものでした。
 
 
それに報いるためにも早く治療を開始し、奇跡が起こるのを待ちたかった。
 
 
でもA病院の回答はこうでした。
 
「手術はしたけど治療は開始出来ない。」
 
 
何のために乗り越えた手術なのか。
 
どれほどまでに人を侮辱すれば気が済むのか。

 
わずか入院4日間の間に、
 
一生分に相当するくらいのストレスを受けてきました。
 
 
もう我慢出来ない。
 
私は妻を何とかして説得し、A病院を去る決意をしました。
 
 
でも術後間もない状況で、
 
手術の傷口の事を考えると、すぐに退院出来ない事は分かっている。
 
 
でも一日でも早く、この辛い状況から逃げ出したかった。

 
先日は娘の秋の遠足に同伴し、私の疲れも限界に来ていました。
 

朝一で妻の元へ駆け付ける予定でしたが、私は原因不明の発熱をしてしまいました。

 
ここは無理をしない。
 
体力の回復を待って、お昼過ぎから妻の病室へ向かいました。
 
 
最近の妻は、せん妄の症状が顕著であり、特に昼間は眠気が強い。
 
 
私が今日伝えたい大事な話。
 
「肝動注の治療を諦めて退院しよう。」
 
 
この話は、
 
意識が少しはっきりする夕方くらいの時間になってからの方がいいかな。
 
と考えていました。
 
 
安静にしていたおかげもあってか、熱も下がり、私は妻の入院する病室に向かいました。
 
 
もちろん妻は病室にいました。
 
でもベットで安静にしているかと思いきや、そわそわと何か動いている。
 
 
術後3日目なので、ある程度動けるようになっていたようですが、
 
妻の様子は一昨日に会った時と比べて、明らかに変わっていました。
 
 
一昨日はせん妄の影響で終始ウトウトとしていましたが、
 
一転してこの日は、怒りに満ちた形相で、目はギラギラとしていました。
 
 
そして病室に入った時、
 
腐った魚のニオイのような、

嫌な匂いがしました。
 
 
「大丈夫。。か?体調はどう?」
 
 
昨日は娘の秋の遠足があり、見舞いに来れませんでした。
 
たった2日ぶりだけど、今までは毎日一緒にいたから、久しぶりに会うような感覚でした。
 
 
私がこう尋ねると、妻は私の質問には答えず、
 
洗面台の脇に置いてあった汚れたティッシュを指差しました。
 
「あのティッシュ、どう思う?」
 
こう聞かれました。
 
 
そのティッシュはドス黒い赤い色をしていて、
 
病室内を充満させている異様な匂いは、そこから発せられるものだと気付きました。
 
「さっき気持ち悪くなって少し吐いたんだよね。でも何か変だと思ってティッシュで拭いたんだ。やっぱり血かな。。」
 
明らかに吐血をしていました。
 
 
妻は認めたくないような素ぶりでしたが、この鉄のような生臭い匂いは間違なく血液でした。
 
妻が吐血をしたのは初めてでした。
 
 
このような緊急事態に、
 
本来であれば、病院という医療機関に入院している事が不幸中の幸いと、
 
すぐに看護師や医師を頼りに出来るはずですが、
 
ここは異質な病院。
 
 
淡い期待で看護師に吐血した事を報告したけど、
 
「様子を見ましょう。」
 
やはり何の対処もしてくれませんでした。
 
 
それでもこの日は運良く、
 
これ以上の嘔吐も吐血もする事はなく過ごす事ができました。
 
 
 
そして妻が鬼のような形相でギラギラしていた理由。
 
妻はこう訴えてきました。
 
「もう我慢出来ない。こんな場所にいたくない。」
 
 
妻も私と同じ気持ちだったのです。
 
いや。
 
実際にこの場所で過ごしている妻の怒りは、
 
当たり前ですが、私が感じているものを超えていました。
 
 
なぜそこまで妻は怒っていたのか。
 
昨日、私は電話で少し妻を咎めました。
 
このままA病院のやり方に任せていたら何も進まない。と。
 
無気力な雰囲気を妻から感じたからでした。
 
 
その私の言葉で目が覚めたようです。
 
これから先、少しの間でしたが。
 
怒りの感情がせん妄に勝った数時間でした。
 
 
妻も同じ気持ちなのは分かった。
 
でも退院したとして、その先の事はどうなるのか。
 

口には出しませんでしたが、もう私達は理解していました。
 
 
死を待つしかない状態になる。
 
そして出来るだけ穏やかな死を望む。
 
 
でも、その先の事を考えることよりも。
 
まずはどれだけ早く、この病院から去る事が出来るのかを考えたい。
 
 
私はせめて手術痕の抜糸までは入院している必要があると考えていました。
 
抜糸は術後の経過次第だけど、早くて術後1週間後と言われていました。
 
 
でも妻は、今日退院したいと言っていました。
 
相変わらず極端な発想をする妻だけど、
 
でもその気持ちは痛いほど理解出来ました。
 
 
こんな時に頼りになるのは、ずっと妻の事を診てくれていた主治医。
 
外科医であれば、自分が手術していない傷跡でも抜糸くらいは出来るのでは?
 
 
私は妻の手術痕の写真を撮りました。
 
この写真を主治医に見せて、そして抜糸が出来るか判断してもらおう。
 
 
あの人なら、きっと出来ると言ってくれる。
 
主治医に写真に撮った手術痕を見せに行く事にしました。
 
 
これで方針が決まった。
 
妻は少し安心した顔を見せましたが、
 
「やっぱり今日の退院は無理?」
 
妻はどうしてもこの病室で過ごすのが嫌だったようです。
 
こうなると妻の意思は固い。
 
 
断られるを事を承知で、今日の外泊は可能かと看護師に尋ねました。
 
まだ術後3日目で、傷跡も生々しい。
 
外泊なんてとても無理。
 
と言われると思っていましたが、
 
すんなりと許可が出ました。
 
 
これは驚きました。
 
 
この病院の雰囲気からしたら、外泊なんて絶対に許してくれないと思っていました。
 
妻の表情が、久しぶりに輝きました。
 
 
吐血もしてしまい、不安だけど、
 
妻の今の状態を考えると、
 
家で過ごした方が一番良い選択なはず。
 
 
しばらくすると看護師が一枚の書類を持ってきました。
 
それは誓約書でした。
 
入院中に逃走する人が後を絶たないらしく、
 
そういう理由から誓約書が必要なんだと看護師は言っていました。

 
この病室に勤務する看護師さん達も苦しい立場なのかもしれない。
 
逃げ出したいけど、働いて稼いで自分の生活を守る必要がある。
 
訳ありな雰囲気を持った看護師さんも多く勤めていた病院でした。
 
 
入院5日目。
 
本当に長く感じた5日間。
 
久しぶりに妻が我が家に帰ってくる。
 
子供達もきっと喜ぶだろう。
 
娘の帰りを待つ、お義父さんお義母さんも喜ぶだろう。
 
 
 
束の間ですが、
 
久しぶりに明るい日差しが差し込んだ気がしました。