私達が生活していく上で、妻の病気の事を伝えざるを得ない人達。

 
家族、親戚、職場の同僚。


 

この人達には状況を伝えておく「責任」と「義理」があると思っています。

 

もちろんこの中でも、距離感が近い人達だけに限定する必要があるとは思います。


 
ただ、やっぱり極力は誰にも知られない方が良い。

 

伝えない事で迷惑をかけてしまう人なら仕方がないけど、

 

あまり関係が深くない人にまで知られてしまうと、
 

その人がもし、人の不幸を面白がるような心無い人だったら、意図しない範囲にまで拡散されてしまう。

 
 

それはとても悲しいことです。
 

 
2017年9月12日。

 

これ以上は隠し通せない。
 

いずれ多大なる迷惑をかけてしまう。
 

そんな存在の人にカミングアウトをする日でした。
 

 

それは幼稚園の先生。
 

娘が通う幼稚園の担任の先生です。
 

 

幼稚園には親が参加しなければならない数多くのイベントがあります。
 

春の遠足。

秋の遠足。

母の日、父の日、敬老の日。
秋の運動会。
おゆうぎ会。
サンドイッチパーティー。
 

イベントだけでも沢山あり、それ以外にもイベントに向けた集まりや保護者参観、期ごとに行われる面談、引き渡し訓練など。
 

親の存在が必ず必要になるシーンは少なくとも月に2,3回はあったと思います。
 
今までは私がサポートをしながら、妻がそれをやって来ました。

 

 

夏休みに入る前までは体調も良く、
 

幼稚園の母の日のイベントには最高の笑顔を妻は見せてくれました。
 

 

しかし7月の終わり。
 

骨髄抑制の副作用による感染症で緊急入院してからは、崖を転がり落ちるかのように状態は悪化。
 

2か月足らずで、腹水、黄疸が出現。

 

骨転移に乳転移も発覚。
 
 

もう今までのように、
 

母を貫けない。
 
 

母親として出来る事が、限りなく少なくなってきている。
 

私も妻のサポートで付きっ切りになっている。

 

だから、このままでは幼稚園に迷惑をかけてしまう。
 

そう思い、担任の先生に急遽時間を取ってもらい、臨時の面談をさせてもらう事にしました。
 
 

急な相談だったので、
 

「もしかして転園のご相談ですか?」
 

と先生は聞いてきました。
 

 

改まって時間を取るなんてよっぽどの事だろうと思ったようです。
 

でも伝えるべき事はそれ以上に深刻な事。
 
 

全てを伝えました。
 

余命という言葉は使わなかったけど。
 

 

死について覚悟が必要な状況であること。
 

 

亡き後の娘の将来が心配であること。
 

 

母親を全う出来ない事が無念であること。


 

先生と一緒に妻は号泣していました。
 

 
当面の目標は10月8日に開催される秋の運動会で娘の勇姿を見ること。
 

娘はリレーの選手に選ばれていました。
 
 

その姿を見るまでは死ねない。
 

少なくともその日までは、

 

母親を貫く事を誓っていました。
 

 
運動会の係など、色々と担当しなければならない事は全て辞退させて頂きました。
 
「他の保護者の方々にはどのようにお伝えすれば良いですか?」
 

と聞かれ、一瞬迷いましたが。
 

先生の口からこんな重い話をしてもらう訳にはいかない。
 

「私から説明させてもらいます。」
 

 

運動会の係決めの打合せが、近日中に行われる事になっていました。
 

そこに私が出席し、他の保護者の方々に妻の状態を私から伝える、という形になりました。
 

 
妻はこの幼稚園が大好きでした。
 

担任の先生も保育者として立派な方で、
 

尊敬もしていました。
 

 

こんな事を先生に告げなければいけないなんて。

 
妻の無念さは計り知れません。

 

10月8日の運動会。
 

妻が亡くなる6日前に行われたイベントでした。
 
 

その日まで妻は、立派に母を貫いていました。
 

 
娘にもそれが伝わったと思いますし、

 

これからも、息子にも、

 

その母の強さを私が伝え続けていかなければなりません。

 

 

君たちの母親は立派な母親だったことを、
 

忘れさせないためにも。