2017年9月に入り、
妻の状態は日を追うごとに悪化していました。
腹水の量は増え、
足の浮腫みも靴が履けないくらいにに腫れ上がり、
眼球に黄色味を帯びて来た黄疸は、顔の皮膚や手の皮膚にも少しずつ現れるようになりました。
また、悪疫質対策でプロテインを飲み始めていましたが、
ほとんど効果がなく、顔や体がさらに痩せ細ってきていました。
抗PD-1抗体の治験参加による一発大逆転の可能性が残っているとはいえ、
妻は近い将来いなくなる。
この現実は避けられないのではないか。
妻の痩せ細った後ろ姿を見る度に。
覚悟を深める作業を私の心の中でしていました。
大事な人、家庭の大黒柱を失っても生きていかなければならない悲しさ、悔しさ、無念。
一番辛いのは妻なのは間違いありませんが、
遺される側の辛さも感じていました。
そして忘れてはいけないのが、
4歳になる娘の存在です。
娘には病気の事は伝えていました。
妻が大腸がんになった事を娘に告げたのは娘が3歳半の時。
大腸がん、なんて言っても分からないから。
「ママのお腹の中に強いバイキンが住んじゃった。」
と言う表現をしていました。
「ママのバイキンやっつけてやる!アーンパンチ!」
なんてアンパンマンのものまねをしていた娘も。
4歳を過ぎ。
毎日の家族のリアルな形が、癌と闘う日々に変わった事で。
がんという病気がどんなものなのか、
理解するようになってきました。
私は少しずつ、娘に深刻な状況を言うようにしていました。
それは娘のためだけではなく、私のためでもありました。
妻の前では弱気にならない。
涙も見せない。
でも24時間それは無理。
私が唯一弱気になり、
自由に泣ける場所。
それはお風呂でした。
お風呂は娘といつも一緒。
お湯で顔も体は濡れて分からなくなっていますから、たくさん娘の前で泣きました。
娘はキョトンとしていました。
パパなんで泣いてるの?
ママがいなくなるかもしれない。
それがとても悲しい。
ママのお腹のバイキン強いの?
うん。どうしても倒せない。
ママやられちゃうかもしれないんだ。。
そんなやり取りをすると娘はいつも考え込みます。
そしていつも可愛い提案をしてくれます。
いっぱいお腹を撫でてあげればいいんじゃない?
ご飯いっぱい食べればいいんじゃない?
プリキュアに頼めばいいんじゃない?
そうだね。。
それでも負けちゃいそうなんだ。。
そっか。。でもがんばろうよ!
娘はいつも前向きでした。
でも少しずつ。
ママがいなくなる事の重大さをきちんと悟らせた方がいいのではないか。
娘にも覚悟を決めてもらう必要があるのでは。
そう思い始めました。
ねぇ。ママが死んじゃったらどうする?
ママに会えなくなるってこと?
そうだよ。
うーん。。悲しいけど、平気だよ!
娘はあっけらかんとしていました。
そのリアリティを感じる、
という事がまだ出来ないだけかもしれませんが。
だってパパもいるし、弟くんもいるし。ジィジもバァバもいる!だから大丈夫だよ!
本当に子供は強い。
ひたすら前向きで。
羨ましいくらいに迷わない。
この時は、
まだ幼いから現実なんて分からないのかな。
なんて思っていたけど。
でも娘は嘘なんて付いていなかった。
娘が言っていた「平気」は本当でした。
ママがいなくなって悲しいけど大丈夫。
今、その通りに彼女は強く生きています。
時折、寂しさのスイッチが入る事があるけど、
いっぱい泣いて、抱きしめてあげて、
そしてケロリと治る。
娘にも覚悟を決めてもらう必要があるなんて思っていたけど。
そんな必要はなかった。
わざわざ覚悟を決める必要がある人は、
わざわざ覚悟を決める必要がある人は、
心が弱い人。
いざその日が来た時に自分を見失わないようにするための防御策。
私は心が弱いので、
私には覚悟を決める必要がありました。
心が強い娘。
本当に母親にそっくりです。
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