私の家族はみんなで4人でした。
 
私と、
妻と、
娘と息子。
 
 
ずっと4人で過ごしていくんだな、と思っていました。
 
私もいい年だし、
 
これからさすがにもう一人に増える事は無いだろうし。
 
 
ただ、家族が減る。
 
なんて可能性は考えた事はありませんでした。
 
 
2016年が始まって、
 
息子が産まれて家族が4人になって、
 
2016年が終わって、
 
家族がいずれ3人になる。
 
 
しかも家庭の中で一番大事な大黒柱である母親がいなくなる。
 
 
あまりにも短い期間に、
 
希望と絶望の感情が生まれては消える。
 
 
こんな事を繰り返しながらも、燃え尽きるまで全力でもがいて。
 
疲弊している事すら忘れて全力を尽くした。

 
「希望」なんて言葉は子供向けのアニメではよく使われているけど、
 
大人になって淡々と生きてるうちは使われる事はまずない。
 
 
でもこの時は、毎日が希望探し。
 
 
探すと意外と簡単に見つかる。
 
根拠のない希望。
 
 
希望を持つから絶望が生まれて、
 
その中で違う希望を見つけて、また失う。
 
そんな悲しいルーティンを知り始めたのは、このくらいの時期だったと思います。
 
 
国立がん研究センター東病院に運んだ癌細胞。
 
憎むべき腫瘍から大逆転の可能性が生まれる事を期待していた時。
 
 
妻はロンサーフの服用を開始していました。
 
これもまた希望のひとつ。
 
何もしなければ奇跡を起こす可能性はゼロになる。
 
その時だけは絶望に変わる事なんて考えてもいない。
 
 
前向きに考える事は大変な事だけど、
 
絶望ばかり感じて生きるのはもっと辛い。
 
 
一人じゃ出来ないかもしれないけど、
 
家族の笑顔が自然と気持ちを前に向かせていたかもしれません。
 
 
この日はただただ穏やかに過ごした日。
 
天気も良くて。

近くの公園でシャボン玉遊びをしに4人でお散歩に出かけました。
 
 
4人が揃った写真
 
 
妻と娘がシャボン玉遊びをする写真
 
 
孫のように可愛いと言っていた、
息子とのツーショット
 
1枚目の写真が、

4人が揃って撮る事が出来た最後の写真です。
 
 
当たり前ですが今はもう、
 
妻が映った写真を撮る事はありません。
 
 
どんなに撮りたくても、
 
その絵を見たくても見れない。
 
 
写真なんて、 

今ではスマホのボタンを押すだけで撮れるのに。
 
飽きるくらい毎日一緒にいたのに、
 
当たり前のように出来ていた事が出来なくなる。
 
 
その当たり前の事が、
 
もっともかけがえのない事だと理解すること。
 
それが家族を失うということです。