一発大逆転の夢を叶えるため、
足を運んだ国立がん研究センター東病院。
結果として、治験の参加可否を調べる検査と、
今後の治療方針の全てを、国立がん研究センター東病院に委ねる決心をしました。
2017年9月1日。
1回目の診察。
初診という事もあり、血液検査、CT検査、尿検査などの基本的な検査を行いました。
その後、マイクロサテライト不安定性検査の説明を受けた後、
新しい主治医と今後の治療方針について会話しました。
まず抗がん剤治療。
今の腹水の出現している状況から、FOLFIRIの継続は難しいとの事。
これは今までと同じ判断でした。
ただ今までと違ったのは、
ロンサーフ+アバスチンの治療が適用できると提案された事でした。
これはとても有難い提案。
治験の参加以外に生き延びる道は無いけれど、
何かしらの抗がん剤治療をする事が出来れば、
セカンドオピニオンの時に言われた
「仮に治験の参加資格を得られても間に合わない。」
このような最悪の事態を免れる可能性が増える。
この提案を拒否する理由はどこにもありませんでした。
ただ、一番気になったこと、
マイクロサテライト不安定性検査の結果はいつ頃分かるのか。
これについて主治医に尋ねると、思ってもいなかった事を言われました。
「この検査をするためには奥様の検体。つまり癌細胞そのものが必要です。これを手に入れる方法が無ければ検査は受けられません。」
晴天の霹靂。
ここに来てそんな条件を突き付けられるとは。
血液検査だけで分かるものだと思っていた。
「奥様の体から新たに検体を採取する事は可能ですが、あまりにも危険すぎます。」
それはそうだ。
もう妻の体に傷は付けたくない。
「原発大腸癌を切除した病院から、ご提供頂く事は可能でしょうか。」
大腸癌の切除をしたのは2016年11月。
約9ヶ月前にJ大学病院で手術を行った。
はたして検体は残っているのか。
残っていたとしても、そんなに簡単に貰えるものなのか。
絶望感を覚えました。
一刻の猶予もない中で、そんな難題を突き付けられてしまった。
果たして間に合うのか。
でも出来る限り全力を尽くすしかない。
私はすぐに元主治医に連絡を入れました。
彼はJ大学病院の非常勤講師もしているから、内情は良く知っているはず。
「事情はよく分かりました。今からJ大学病院に連絡を入れてみます。」
「事情はよく分かりました。今からJ大学病院に連絡を入れてみます。」
有難い。本当に。
頼む。残っていてくれ。
折り返しを待っている時間。
出来る事は祈る事だけだった。
間もなくしてから折り返しがあった。
「連絡がつきました。奥様の検体はすぐに用意が出来るそうです。急ぐのであれば、今からJ大学病院にいらして下さい。」
驚きました。
もう手に入る?
相手は大学病院だから、ここまでフットワークが軽い対応をしてもらえるとは思っていなかった。
私は主治医と妻にこの件を伝え、大急ぎでJ大学病院に向かいました。
J大学病院は相変わらずの混雑ぶり。
座る椅子がない程に人が溢れかえっている。
これはだいぶ待たされるかと覚悟をしていた矢先、
「○○さん!」
私の名前が呼ばれた。
先生が直々に受付まで来て、私を呼んでくれた。
「アイツから話は聞いています。これが奥様の検体です。どうぞお持ち下さい。」
涙が溢れてきた。
単なる一患者である私達に、こんなにも協力してくれる医師達に感動した。
この先生は妻の大腸癌摘出手術を担当し、
術前説明や術後に私に切除した癌を見せてくれた。
一番お世話になった先生だった。
そして元主治医の同期。
同期同士だからこそ、信頼している間柄だからこそ、こんなにも早く動いてくれたのかもしれない。
この幸運を何とか結果に結び付けたい!
頂いた検体は、癌部と正常部の2種類ありました。
すぐに車に戻り、がんセンター東病院まで戻る。片道1時間程度の道。
今私が運んでいるのは。
希望。
皮肉にも妻を蝕み、命を奪おうとしている悪魔の癌細胞が、
今この瞬間だけは、我々の希望そのものでした。
がんセンター東病院に戻り、検体を受付に渡しました。
主治医はこの日はもう別の診察に入っていて、会う事は出来なかった。
気になるのはいつ検査結果が分かるかだ。
主治医から伝言が残されていた。
「検体を頂ければ2週間あれば結果が分かります。2週間後の9月15日にお越し下さい。」
2週間であれば、さすがに妻の体は持つはず。
この日は9/15の診察の予約をし、3rdラインとなる新しい抗がん剤のロンサーフを処方してもらって帰路につきました。
全力を尽くし、幸運にも恵まれた。
新しい抗がん剤治療も開始できる。
この上ない、上出来の日だった。
後は検査結果を待つのみ。
何もかも上手くいった今日の勢いそのままに、
検査結果を知る日を迎えたいと思った。
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