2017年5月10日。
この日は11回目の抗がん剤治療の日。
そして今回は珍しく、木曜日ではなく、水曜日に治療を開始した。
理由は、5月13日の土曜日に幼稚園で母の日のイベントがあったから。
本当は入園式の時のように1週間スキップしようかとも思っただが、腫瘍マーカーの値が悪化していたため、悠長な事を言っていられる状況ではなかった。
1日前倒しで始める事で、何とか母の日のイベントには参加したい。
そんな思いで日程調整した。
いつもの通り、前日にはハイパーサーミアと血液検査のための通院。
ハイパーサーミアは3回目になる。
前回の治療からしばらく、妻の体調は良くなかった。
副作用による手の痺れ。
そして謎の胸の痛み。
手の痺れは生活する上で、かなりの支障をきたしていた。
箸を上手く持てなかったり。
水を触れなかったり。
ボタンを付けられなかったり。
痛いとか苦しいとかではなかったけど。
著しいQOLの低下。
オキサリプラチンの手足の痺れの副作用は、投与を止めれば収まるものではなく、止めてもその状態がしばらく続く。
治療を粘れば粘るほど、これから長くその嫌な痺れと付き合っていかなければならない。
そういう性質を持った副作用だから、もうこれ以上オキサリプラチンを投与し続ける事は出来ない。
今回からオキサリプラチンを抜く。
それが主治医の判断だった。
FOLFOXのOXの部分を抜いた治療になる。
セカンドラインはFOLFIRIの予定だったが、今のところ腫瘍は大きくなっていない、というのも判断材料の一つだった。
今を思うと、この判断が致命的な分岐点だった可能性がある。
頑張ってFOLFOXを続けていれば。
早目にFOLFIRIに切り替えていれば。
状態がさらに悪化し、慌ててFOLFIRIに切り替えたのはここから6週間後。
この6週間で妻の身体の中の悪魔はどんどん成長してしまった。
もう後悔しても仕方ないけど。
その時の最善は尽くしたつもりだけど。
最適な選択をしてきたかと、結果論を問われると難しい。
そして謎の胸の痛み。
主治医は貧血の影響だろうと言っていた。
主治医は貧血の影響だろうと言っていた。
確かにヘモグロビンの値も低くなっており、今回の治療の時に合わせて輸血も行う事になった。
しかし。
輸血してヘモグロビンの値は正常値まで回復したけど、胸の痛みは変わらなかった。
腫瘍の傷み。
癌性疼痛に間違いなかった。
腫瘍の傷み。
癌性疼痛に間違いなかった。
まだ耐えられるくらいでロキソニンやナイキサンで凌いでいたけど。
いずれこの痛みも耐えられなくなり。
オプソやMSコンチンなどのモルヒネしか効かなくなる日がやってくる。
5月の腫瘍マーカーの値は何とか現状維持。
オキサリプラチンが頑張ってくれていたのか。
それとも食事療法の効果か。
それとも食事療法の効果か。
両方ともやめてしまった。。
これから先どうなるのか。
闘病生活も半年を過ぎ、油断があったのか。
少し判断能力が鈍っていたのかもしれない。
ここが転落の始まり。
何かが崩れ落ちていく、そんな音がした。
◾️腫瘍マーカー記録
2016年11月9日
CEA 3438.4 CA19-9 21000
2016年12月8日
CEA 2698.1 CA19-9 15000
2017年1月4日
CEA 7442.8 CA19-9 33000
2017年2月9日
CEA 1528.1 CA19-9 6928.0
2017年3月9日
CEA 844.0 CA19-9 4168.0
2017年4月12日
CEA 812.4 CA19-9 6810.6
2017年5月9日
CEA 766.4 CA19-9 6918.8