2017年4月末。
闘病生活も半年が経とうとしていました。
闘病生活も半年が経とうとしていました。
2016年11月にステージ4の大腸がんが発覚。
切除手術をして、2016年12月より抗がん剤治療を開始。
抗がん剤治療の開始と同時期に、妻は食生活を見直したいと言いました。
蓋を開けてみると。
妻がやりたい見直しというのは、見直しなんてレベルではなくて。
修行そのもの。
あまりにも辛い食生活に耐えていけるのか私も不安でしたが、癌治療の一環として効果がある。
と信じていた妻の意思は固く、本当に頑張りました。
私も妻の力になりたくて、普通のスーパーではなかなか手に入りにくいオーガニック食品や平飼いの卵を買ったり、
出来るだけ美味しいものを食べて欲しいと思って、良質の玄米など、高額な食品を惜しみなく購入していました。
1日2リットル近く飲む野菜ジュースも、1回でまとめて作ると劣化して不味くなるから、3,4回に分けて飲む直前に作ってあげるようにしました。
もちろんスロージューサーを洗うのもその都度。
使う野菜は無農薬でしたが、無農薬が手に入りにくいキャベツ等はホタテパウダーで洗う事で、農薬を洗い流してから使いました。
使う野菜は無農薬でしたが、無農薬が手に入りにくいキャベツ等はホタテパウダーで洗う事で、農薬を洗い流してから使いました。
あと一緒に食事制限をして辛さに寄り添ってみたり。
何とか私も頑張って協力をしながら、妻の事を支えたかったのですが。
何とか私も頑張って協力をしながら、妻の事を支えたかったのですが。
もう限界でした。
妻だけでなく私も。
ある日の事。
ある日の事。
いつものように妻に声をかけました。
「そろそろジュース作ろうか?」
妻から作ってほしい、と言い出す事はかなり少なくなっていました。
飲むのが相当嫌になっていたんだと思います。
妻は露骨に嫌な顔をして、私の事を無視しました。
私も少しイラっとして。
「こっちだって作るの大変なんだから、少しは有難そうにしてくれよ。」
私の1番の苦痛は手のあかぎれ。
特にレモンを切る時は地獄のような痛さで、もう10本の指だけでなく、手のひらまでボロボロでした。
妻はしぶしぶ飲み始めましたが、一向に飲み進める気配がなく、時間が経って劣化してしまったため、捨ててしまいました。
妻はしぶしぶ飲み始めましたが、一向に飲み進める気配がなく、時間が経って劣化してしまったため、捨ててしまいました。
もう限界でした。
作りたくない。
飲みたくない。
飲みたくない。
効果も分からない。
誰も喜ばない。
一生懸命続けてきて。
柑皮症になって手の色まで黄色く変わるくらい頑張って飲み続けてきた野菜ジュースは。
もうやめる事にしました。
野菜ジュースをやめたのをきっかけに。
食事の方も徐々に普通の食事に戻していきました。
もちろん暴飲暴食はせず。
口に入れるものの成分には引き続き気を付けていましたが。
私は呪縛から逃れた思いでした。
妻はそれ以上だったでしょう。
そして。
食いしん坊だった妻の笑顔が戻ってきました。
「美味しい〜!幸せ!」
と言いながら嬉しそうにご飯を食べる妻を見ていると。
もうどうなっても構わない!
と、思うようになりました。
と、思うようになりました。
そしてあわよくば。
ストレスから解放されたことによって、逆に病気が良くなるんじゃないかなんて。
そう思うくらい美味しい物を食べている時の妻は嬉しそうで。
健康そのものでした。
食事療法の効果が全くなかったかは分かりません。
あれだけ身体に良いものばかりを採り続けたのだから。
妻と一緒に過ごしたあの時間は少しは長くなったのでは、と思っています。
妻にはもっと長く生きて欲しかったけれど。
それよりも大事にしなければいけない物がある。
美味しい物を食べられる喜び。
食事療法をやめた事で。
もしかすると彼女の命が短くなってしまったかもしれませんが、後悔はしていません。
この時から。
彼女は最後を迎えるその日まで、食べたい物を食べていました。
彼女も後悔してないんじゃないかな。
彼女も後悔してないんじゃないかな。
なあ。
最後のお昼に食べたカップラーメン。
美味しかったよね?